◇◆◇日々のみ言葉
2017年1月14日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章20節】
6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。」
◎ショートメッセージ
《今日から「平地の説教」と呼ばれている箇所の学びに入ります。
このイエス様のメッセージは、マタイの福音書における「山上の垂訓」と似通っていますが、別の説教であると思われます。
このことから、イエス様は、この説教をいろいろな場所で、しかも何回も語られたことが考えられます。
またルカは、もしかしたらそのような説教をまとめて、ここに書き記したとも考えらるのです。
それでは、マタイの福音書に掲載されている「山上の垂訓」とともに、考えて行きましょう。
マタイによれば、
『この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(マタイの福音書5:1~5:3)』と、なっています。
ルカにおける「平地の説教」の出だしの言葉は、ほぼ同じ内容です。
「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。」(ルカ)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ)
おそらくイエス様のこの説教を聞いた十二使徒たち、また大勢の弟子たちは驚いたに違いないのです。
ルカは、「貧しい者は幸いです。」と書いています。本来は、「心の貧しい者」あるいは「霊の貧しい者」が主イエス様の言われた真意なのです。
「貧しい者」、この言葉の原語は「乞食」なのです。つまり乞食は幸いだと言うのです。
貧しいことがどうして幸いなのでしょうか。人は貧乏から抜け出したくて、貧しさから解放されるために、必死で働き、日々の糧を得ようとします。お金の無いことがどうして幸いなのでしょうか。
実際に「乞食」は何も持っていません。何も頼るものがありません。それだからこそ、すべてを神様に頼るしかないのです。
現代社会においての「成功」とは、大金持ちになること、たくさんの物品を所有すること、あるいは名声を得ること、高い地位に着くことを指しています。もちろんそれは、素晴らしいことです。
しかし、一生かかっても使い切れない財産があっても、人の羨む地位についたとしても、全世界に轟くような名声を得たとしても、本当の幸いは、その人の心の外にあるのではないからです。なぜなら、富や地位や名声は、その人の命を救ってくれるものではありません。
それだからこそ、「貧しい者」「心の貧しい者」は、神様だけを求めますから、神の国を見い出すことが出来るのです。そして「神の国」はその人のものとなるのです。
まさにイエス様が言われた通りなのです。
『「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイの福音書16:26)』
幸いは、あなたの心の中にあるのです。》