◇◆◇日々のみ言葉
2017年1月16日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章22節】
6:22「人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。」
◎ショートメッセージ
《「平地の説教」と呼ばれているイエス様の説教について、続けて学んで行きます。
マタイの福音書によれば、
『私のために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。(マタイの福音書5:11)』となっています。
ここから「人の子」とは、「私」つまりイエス様ご自身であることが分かります。イエス様が、ご自身のことを「人の子」と呼んでいますが、これは特別な意味を持っていた言葉でした。しかもパリサイ人や律法学者たちが、良く知っている言葉でもあり、それは「メシヤ」を指し示していたのです。
ダニエル書によりますと、
『私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。(ダニエル書7:13~7:14)』
と書かれてあるからです。
よってパリサイ人や律法学者たちは、イエス様がこのようにご自分を呼ばれることに対して、怒りを持ち、歯ぎしりしていたのです。なぜなら彼らは信じることが出来なかったからです。
しかし私たちは、イエス様を信じて救われた、ユダヤ最高議会議員であり、ユダヤの人々から尊敬されていた二人の人物を知っています。
アリマタヤのヨセフと、エルサレム神学校長ニコデモです。もちろんこの二人は、パリサイ人であり律法学者でした。しかもニコデモは、その中においても最高の権威を持っていたと言っても良いかも知れません。
この二人がついにイエス様の弟子であることを、人々に公に示す時がやって来ました。イエス様が十字架に架かられ、その命が尽きた時、ポンテオ・ピラトから埋葬の許可を得て、十字架から降ろした時でした。
その後、今日のみ言葉が、この二人に成就することになるのです。
「人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。」
大金持ちであったアリマタヤのヨセフは、議員を剥奪され、エルサレムから追い出されることになります。またニコデモは、すべての権威や立場を失い、最後は物乞いのような生活の中で召されて行くことになるのです。
しかしイエス様が言われた通り、この二人が天の御国において得るであろう報いは非常に大きいと私は思うのです。
イエス様の御体を十字架から降ろして埋葬するには、どうしても他人の助けが必要でした。
イエス様の家族であった四人の弟たちと二人以上の妹たち、そしてヨハネを除く十二使徒でさえ、十字架の御元にはいなかったのです。
その尊い働きを、アリマタヤのヨセフとニコデモが、真にすべてを捨てて、成し遂げたのです。
私は、よみがえったイエス様が、この二人に現われたことを信じています。》