◇◆◇日々のみ言葉
2017年1月20日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章25節】
6:25「いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所から、引き続き学んで行きます。
イエス様は「平地の説教」で、四つの幸いの後、四つの災いについて言われました。今日は、三つ目の災いについて考えて見ましょう。
「いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。」
イエス様は、いつもはどんな様子であられたのでしょうか。聖書には、普段のイエス様の様子は書かれてはいません。
でも私は思うのです。イエス様は、きっとユーモア溢れた魅力的な男性であったと。おそらく、十二使徒たちをからかったり、いたずらしたりしたのではないでしょうか。 弟子たちと、大笑いしているイエス様の顔が、私には目に浮かんで来るのです。笑うことは、素晴らしいことです。微笑みは、人を幸せにします。
使徒パウロは、このように勧めています。
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(第一テサロニケ5:16~5:18)』
喜んでいる人が、悲しい顔をすることが出来るでしょうか。感謝している人が、暗い顔をすることが出来るでしょうか。その反対ではないでしょうか。
イエス様が言われたこの言葉は、どうやらクリスチャンたちに言われたことではないようなのです。なぜなら私たちは、悲しい時も、苦しい時も、つらい時も、喜ぶよう、感謝するように命じられているからです。
「いま笑っている人」
これは、主イエス様を知らない人々を指しているのです。彼らはこの世を謳歌しています。神様がなくても、信仰がなくても、救いがなくても困らないと言うわけです。
そうです。彼らは、たくさんの富と財産と物に囲まれ、喜んでいます。しかし救いはすべての人に必要です。イエス様は、すべての人の主なのです。ある人が、その本人が認めようとしなくてもです。
主イエス様は、すべての人の罪のために十字架にかかって死んで下さいました。そして三日目によみがえられました。この方以外に、救いはありません。
では、なぜ救いが必要なのでしょうか。それは、人は一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定められているからです。
彼らが悲しみ泣く所。それは間違いなく「黄泉の世界」です。そしてそこへ行ってからでは遅いのです。そうならない為にも、イエス様の御元に、今すぐ行くべきなのです。》