• 日々のみ言葉 2017年2月5日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年2月5日(日)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書6章42節】
    6:42「自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください。』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《この主イエス様の教えは、マタイの福音書に書かれています「山上の垂訓」にも掲載されています。

     マタイによりますと、

    『「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
     また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
     兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせて下さい。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。(マタイの福音書7:1~7:5)』となっています。

     それでは具体的にどうしたら良いのでしょうか。今日はそのことについて考えて見たいと思います。

     それは、使徒パウロが教会に勧めていることなのです。

    エペソ人への手紙によりますと、
    『お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ人への手紙4:32)』

     イエス様が言われたことは、主を救い主として受け入れ、主に従う者たちへの勧めなのです。またパウロは、エペソ教会のクリスチャンに対して、勧め、いましめています。

     特に、主イエス様の十字架によって罪赦された者同士、互いに愛し合い、そして赦し
    あうことを教えているのです。

     尾山令仁先生はこう言われています。
    「よく教会に愛がない、この教会は冷たいとか言う人がいますが、愛されることを求めてばかりで、愛してもらいたいといった乞食根性ではなく、まず喜んで人に与えることを始めるべきです。物だけでなく、愛も、出来うる限り与えれば、神様は人々を動かし、溢れるばかりに、与えて下さるのです。
     神の国の原理は、『ほかの人があなたがたに対して、どのような態度を示してくれるかということは、結局のところ、あなたがたがほかの人に対して取る態度次第である。』
    と言うことなのです。」
     主イエス様は、十字架においてすべての人の罪を背負われ、身代わりとなって死んで下さいました。ここに神様の愛があるのです。
     霊的に目が開かれた人ならば、イエス様の「十字架の愛」が分かります。私たちが神様を愛したのではなく、神様が私たちを愛して下さり、愛を示して下さいました。それが「十字架」なのです。
     十字架を背負って、イエス様のあとをついて行くと言うことは、愛を背負うことなのです。愛しましょう。》

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