◇◆◇日々のみ言葉
2017年2月18日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書7章11節】
7:11それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大ぜいの人の群れが一緒に行った。
◎ショートメッセージ
《カペナウムにおいて主イエス様は、百人隊長のしもべをいやされました。この百人隊長は、主イエス様の十字架刑の時に、その場所に同席していた百人隊長と同一人物であると、イエス・キリストを表現した数々の映画は、その立場を取っています。
確かな所は、分かりかねますが、イエス様の十字架刑に同席していた百人隊長の証しは、それを暗示させるのに十分であると言えるでしょう。
『イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「本当に、この人は正しい方であった。」と言った。(ルカの福音書23:46~23:47)』
さてイエス様は、カペナウムを去って「ナイン」と言う町にやって来ました。ナインとは、「かわいい」という意味で、聖書に一度しか見られない地名ですが、カペナウムから南西約30キロの所にある標高515メートルのモレ山の北西山麓に位置するネインと同定されています。かつては比較的重要な町であったようですが、現在では目立たない寒村になっています。
そのイエス様の後を、弟子たちと大ぜいの人の群れが一緒に行ったと言うのです。この場面を想像して見て下さい。非常に不思議な光景ではありませんか。
先頭はまさしく主イエス様。そしてその周りを十二使徒たち。もしかしたら、主の前には、ペテロとアンデレが、殺到する人々からイエス様の行く手を守っていた可能性はあると思われます。そしてそのすぐ後に、内弟子たちとイエス様に付き従って来た女性たち。
実は、この一行は、これから主イエス様の大いなる奇蹟を見ることになります。まさしくイエス様が、神の御子であられるしるしを目の辺りに見るのです。
もちろんイエス様は、奇蹟やしるしを見せびらかすために、ナインにやって来たのではありません。
ひとりのやもめの悲しみと苦しみを取り除く為に、やって来られたのです。イエス様に取っては、群衆や多くの人々の賞賛よりも、本当に砕かれ悔いて、神様を求める人の涙と憂いを取り除くことの方が、大切なのです。
そうです。イエス様は、いつも一人の魂に目を向けられるお方なのです。そのように、いつも私たち一人一人を大切に思って下さっておられるのです。
しかし十二使徒たちには、主イエス様の思いは分からなかったのです。彼らは、ユダヤの人々を解放する、イスラエルをローマ帝国の圧政から救い出す政治的メシヤとして見ていたからです。
彼らが、イエス様がどのようなお方であるのかを、真に理解し悟るまでには、まだまだ時間が必要なのです。私たち一人一人にも時間が必要なように。》