◇◆◇日々のみ言葉
2017年4月6日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章16節】
8:16「あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。はいって来る人々に、その光が見えるためです。」
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、同じ箇所から考えて見たいと思います。
昨日は、主語をクリスチャン一人一人に、そして「あかり」を「救われた証し」に、あるいは、「福音」に置き換えて考えて見ました。
今日は、主語を「イエス様」に、すなわち「神様」に、そしてあかりを、私たち「クリスチャン」一人一人に置き換えて、考えて見たいと思います。
神様の一方的な恵みにより、私たちは救われました。救いに導かれたのは、ただ恵みにすぎず、イエス様の選びの中に入れられたことは、神様の深い愛のほか、何ものでもありません。
主イエス様は言われました。
『「あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたが私の名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネの福音書15:16)』
またこのようにも言われました。
『「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイの福音書5:14~5:16)』
この二つの主の言われたお言葉から、
イエス様は、私たち一人一人を「世界の光」として、この世に、まだ主の救いを知らない人々への「あかり」として、様々な場所に遣わされたことが分かります。
そしてそこで光輝くのです。なぜなら、以前の私たちのように、多くの人々は闇の中を歩み、さ迷っているからです。その闇の中に光輝く私たちこそが、まことの救いの道しるべなのです。
私たちは「燭台」の上に置かれたのです。なぜなら「はいって来る人々に、その光が見えるため」にです。
聖書の知識や教理、あるいは奥義よりも、私やあなたが救われた真実の証こそが、人々の心を動かすのです。人々に、まことの救い主、イエス様を指し示すのです。
「福音」を恥としてはなりません。クリスチャンであることは、恥どころか、最大の祝福、そして最大のプレゼントである「永遠のいのち」をいただいた証明であり、証なのです。
語りましょう。話しましょう。あなたは、この世界に置かれた貴重な「あかり」なのですから。
その「あかり」を得るために、主イエス様は、十字架に掛けられ、命の代価を支払ってくださったのです。》