◇◆◇日々のみ言葉
2017年4月8日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章18節】
8:18 「だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」
◎ショートメッセージ
《ここで主イエス様が言われていることは何なのでしょうか。
ここまでイエス様は、「神の御国」について、たとえを用いて話されました。そうであるならば、持っている人、そして持っていない人とは、「神の御国」を持っているのか、あるいは持っていない、と言うことになります。
かつてイエス様は、パリサイ人や律法学者たちにこのように言われました。
『「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカの福音書17:20~17:21)』と。
イエス様が言われている「神の御国」とは、イエス様を信じる信仰によって、その人の心の内にやって来るものなのです。
それゆえ、持っている人は、「信仰によって神の国をその内側に持っている」のであり、持っていない人は、「信仰がない為に、神の国を持っていない」と言うことになります。
それでは具体的には、どのようなことなのでしょうか。
尾山令仁先生は、このように解釈しています。
『具体的に言えば、み言葉が教えていることを心から信じ、それに従うなら、そこに教えられている約束通りの体験をすることが出来、信仰が大きく飛躍し成長します。まさに持っている人はさらに与えられるのです。
ところが、人間的な常識を働かせて、聖書はそう言っているかも知れないけれども、現実はそうはいかないのだと言って、適当にみ言葉を割り引いて受け取ろうとする人は、その素晴らしい体験を味わうことなく、信仰もほとんど成長しないのです。
そればかりではなく、やがて持っていたイエス様に対する信頼や信仰さえも、失ってしまうことになりかねないのです。』
それだからこそ、イエス様は、「聞き方に注意しなさい。」と言われるのです。
聖書のみ言葉を聞き、その言葉を胸に留め、信じ実行する人には、神様は愛を持って応えてくださるのです。
しかし、聖書のみ言葉を知ってはいても、信ぜず実行しようとしない人は、持っていた信仰さえも徐々に失いつつ、やがては主イエス様から離れてしまうことになりかねないのです。
それゆえにイエス様は、「私にとどまりなさい。」と言われたのです。
『私にとどまりなさい。私も、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、私にとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
あなたがたが私にとどまり、私の言葉があなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネの福音書15:4および15:7)』
「神の御国」は、すでにあなたの中にあるのです。》