◇◆◇日々のみ言葉
2017年5月2日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章45節~46節】
8:45イエスは、「私にさわったのは、誰ですか。」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです。」と言った。
8:46 しかし、イエスは、「誰かが、私にさわったのです。私から力が出て行くのを感じたのだから。」と言われた。
◎ショートメッセージ
《この記事は、三つの共観福音書に書き記されています。昨日は、マタイの福音書からの平行記事を掲載しましたので、今日はマルコの福音書からの記事を参考にして考えて見ることにしましょう。
マルコの福音書には、かなり詳しく書き記されています。
『ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。
彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろからイエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。
すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。
イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「誰が私の着物にさわったのですか。」と言われた。
そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『誰が私にさわったのか。』とおっしゃるのですか。」
イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。(マルコの福音書5:25~5:32)』
この場面は、非常に面白いと思います。
イエス様は、群衆の中を振り向いて、「誰が私の着物にさわったのですか。」と言われたのです。
何度も言いますが、イエス様にとっては、すべての人は明らかにされているのです。イエス様は、確かに私たちと同じ肉体を持った人間でありましたが、それと同時にこの世界を創造された神様でもあられました。それゆえ、何もかもお見通しであられ、隠された物は、イエス様の光によって、すべて明るみに出されているのです。
イエス様は、ご自身の着物のふさを触った人が、女性であることも、またその人の名前も、そして何のためにさわったのか、すべてご存知であられたのです。それにも関わらず、あえて「誰が私の着物にさわったのですか。」と聞かれておられるのです。
これは、この女性本人の為だけでなく、すべての人の為でもあるのです。すなわち、神様から恵みをいただいた時には、そのことを自分の口によって証し、そして神様に栄光を帰しなさい、と言うことを教えているのです。
マルコでは、「弟子たち」となっていますが、ルカははっきりと「ペテロ」が、「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです。」と言ったことを書き留めています。良きにつき悪きにつき、大体、このような時に、いつも一言多いのが、シモン・ペテロであります。
しかしイエス様は、はっきりとこう言われたのです。
「誰かが、私にさわったのです。私から力が出て行くのを感じたのだから。」
そしてイエス様は、それをした人を知ろうとして、見回されたのです。ここにもイエス様の優しい愛を感じるのです。
イエス様は、その女性がどこにいるのかも知っておられました。それにも関わらず、あえてその女性に目を留めることなく、待っておられたのです。》