◇◆◇日々のみ言葉
2017年5月4日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章49節~50節】
8:49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人が来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」
8:50 これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」
◎ショートメッセージ
《十二年間長血をわずらっていた女性は、イエス様の衣のふさにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを、人々に話しました。
そこで、イエスは彼女に言われた。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」
イエス様が、そのように話しておられるまさにその時に、ヤイロの家から人がやって来たのです。
そして、
「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」と伝えて来たのです。
実は、この話は三つの共観福音書に掲載されているのですが、マルコの福音書とルカの福音書は、ほぼ同じ内容となっています。
しかしマタイの福音書では、少し異なっているのです。それは、会堂管理者ヤイロがイエス様に願い出る場面から、かなり異なっています。
マタイの福音書には、
『イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」(マタイの福音書9:18)』と書かれていて、この時には、すでに娘は死んでいることになっているのです。
しかしマルコの福音書では、
『イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」イエスは、その話の言葉をそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」(マルコの福音書5:35~5:36)』となっており、若干表現は異なりますが、ほぼ同じ内容と言えるかと思います。
マルコは、ペテロの説教をまとめて福音書を書き記しました。ペテロは、いつもイエス様のみ側でお伴をしていたに違いありません。よって、イエス様の語られたことを明確に覚えていたと思われます。もちろんこれも奇蹟であって、聖霊様の助け無くしてはあり得ないことです。
それではなぜ、マタイの記事は、こんなにまで異なっているのでしょうか。考えられることは、ただ一つです。この時、マタイは席を外していたと言うことです。トマスのように。
さて、ヤイロは、家からに使いの言葉を聞いて、最後の望みを絶たれてしまったのです。その時イエス様は、彼に力強い権威あるお言葉を持って、宣言されるのです。
「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」
この言葉は、今の私たちにも、イエス様は直接語られている言葉でもあります。》