◇◆◇日々のみ言葉
2017年5月5日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章51節】
8:51イエスは家にはいられたが、ペテロとヨハネとヤコブ、それに子どもの父と母のほかは、だれも一緒にはいることをお許しにならなかった。
◎ショートメッセージ
《イエス様が、長血をいやされた女性に話しておられるときに、会堂管理者ヤイロの家から人がやって来てこう言いました。
「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」
この言葉を聞いたヤイロは、ガクッと肩を落とし、崩れ落ちたと思われます。愛する十二歳のひとり娘が死んだのですから。
ヤイロの家の使者からの知らせを聞いて、イエス様は答えられました。
「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」
この後、どのような情景が思い浮かぶでしょうか。今まではヤイロが先頭を切ってイエス様を案内していたのですが、おそらくこの時には、ヤイロを抱きかかえた僕あるいは知人が、案内していたのではないでしょうか。
そしてヤイロの家に到着したのです。家と言っても大きな邸宅であった可能性が非常に高いと思います。
ところで、なぜイエス様は、ヤイロとその妻、そしてペテロとヤコブとヨハネの三人の弟子だけを、娘のいる部屋に入れたのでしょうか。
なぜここに、福音書を書くマタイはいなかったのでしょうか。ペテロは間接的に福音書に関わることになります。ヨハネは、イエス様が十字架にかかられ復活し、昇天なされてから、それこそ半世紀ほど経ってから第四福音書を書き記すのです。しかし、自らが目撃したこの奇蹟については、ヨハネはその福音書には掲載しないのです。
「不思議でならない」と思うのは私だけでしょうか。
この時、残りの9人の弟子たちは、どう思ったのでしょうか。もしかしたら、ここから弟子たちの中に、【誰が一番偉いのか】と言う競争心が生まれたのかも知れません。
しかも、それがイエス様があえてそのように仕向けたとしたら、どうでしょうか。
私たちは、やはり罪人なのです。どうしても自分が、あるいは自分さえ良ければ、と言う思いがやって来るのです。また人から偉く見られたい、と言う気持ちが強いのです。
イエス様は、かなり後になってから、十二使徒たちを呼び寄せてこのように教えられます。
『「誰でも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」(マルコの福音書9:35)』
これこそが、今言われている「サーバントリーダーシップ」の原点なのです。》