• 日々のみ言葉 2017年5月30日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年5月30日(火)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書9章23節】
    9:23 イエスは、みなの者に言われた。「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そして私について来なさい。」

    ◎ショートメッセージ
    《このお言葉は、何回かイエス様は弟子たちに教えています。
     イエス様は、ご自身について行くには、二つの条件を出されたのです。
     その一つ目は、『自分を捨て』ることです。

     こう言われた十二使徒たちでしたが、実際には彼らは、何もかも捨ててイエス様と行動を共にしていたのです。
     尾山令仁師の現代訳では、このように訳されています。

    『「誰でも私の弟子になりたいのなら、古い自我を捨て、恥と苦しみと死を意味する十字架を毎日背負い、私に従って行きなさい。」』

    「自分を捨て」ると言うことは、「古い自我を捨て」ることなのです。つまり、誰がその人の主であるのか、と言うことなのです。

     まだ救いに預かっていない人々の主は、その人自身です。私もかつて、自分こそが世界の中心であり、自分が存在するからこそ、この世界も存在すると信じていました。

     有名な哲学者デカルトが「我思う。ゆえに我有り。」と言ったことこそが、真理だと信じていたのです。

     しかし創造主なるお方の存在と、救いの道を知った時に、自分が主人ではなく、イエス様が「主」となりました。
    「イエス・キリストは私の主です。」と、心から信じて、口で告白するには、聖霊様の助けがなければ、絶対に成しえない御わざなのです。

    「古い自我」は、洗礼を受けた時に、すでに死んだはずなのです。むしろ主イエス様の言われていることは、「古い自我を捨て続ける」こととも言えるのです。

     そしてもう一つは、「日々自分の十字架を負」うことなのです。
     イエス様のこの言葉を聞いた弟子たちは、刑場に自分がつけられる十字架を担いで歩いて行く罪人を思い描いたに違いありません。
     そして自分たちが殉教する運命であることを感じたのかも知れません。実際には、十二使徒の中では、イスカリオテのユダと非常に長生きしたヨハネを除いて、あとの十人の弟子は、殉教したと伝えられています。

     では具体的に、それはどのようなことを指し示しているのでしょうか。
     尾山令仁先生はこのように説明しています。
    『「恥と苦しみと死を意味する十字架を毎日背負い、私に従って行きなさい。」と言うことは、毎日、自己否定の道を歩むことに他なりません。そして主の恵みによって救われ、神の国の国民にしていただいた者は、キリストが十字架から復活への道を生きるべきであり、またそれが出来ることを覚える必要があります。主の恵みにゆだねた生き方こそ、この十字架から復活への厳しい生き方を可能にするその秘訣であることも事実なのです。』と。

     いつも主イエス様の十字架の御わざを覚えつつ、復活の命の中に、主の恵みによって、私たちは生きて行くのです。》

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