• 日々のみ言葉 2017年5月31日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年5月31日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書9章24節】
    9:24「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、私のために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《イエス様は、十二弟子たちと、その場所に居合わせた者たち全員に言われました。
    「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そして私について来なさい。」

     その次に言われたことが、本日の聖書箇所となります。
    「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、私のために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」

     これは非常に難解なお言葉です。
     ある意味においては、日本におけるキリシタンの殉教を指すとも言えるでしょう。つまり、背教して転べば、命を救われるのであり、しかし徹底的に拒めば、長崎の西坂の丘において26聖人のように、十字架の死を選ぶことになるのです。彼らはまさしく、この世よりもパライソ(天国)を選んだのです。

     しかし主イエス様のこのお言葉は、すべてのクリスチャンに対して語られています。今、現在生きている私たちに対してもです。それは、決して殉教への勧めではなく、もっと積極的に肯定的に捉えるべきではないでしょうか。

     尾山令仁先生は、このように解釈されています。
    『主イエス様は、クリスチャンが本当に生き生きとした生き方をする道として、十字架を背負う道を教えておられるのです。「いのちを救う」とは、そのことであり、「いのちを失う」とは、それと反対の生き方、つまり命にあふれた生き方をしていないということです。クリスチャンとは言いながら、命を失ってしまったような生き方をしているとしたら、その人は確かに自己保身的な生き方をしているのです。』

     十字架の死を帯びて、復活の力に生きているとしたら、私たちはこの世において、まさに世の光として、地の塩として輝き続けるのではないでしょうか。

     主イエス様を知らなかったかつての私のように、自分の力だけで生きて行こうとしても、結局は燃え尽きてしまうのではなく、主イエス様が送って下さった聖霊様の力によって、より頼んで生きて行くからこそ、命あふれる者となれるのです。

     使徒パウロはこのように勧めています。
    『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ人の手紙2:20)』と。》

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