◇◆◇日々のみ言葉
2017年6月6日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書9章30節~31節】
9:30しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。それはモーセとエリヤであって、
9:31栄光のうちに現われて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期について一緒に話していたのである。
◎ショートメッセージ
《イエス様一行がピリポ・カイザリヤに来た時のことでした。イエス様はペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、ヘルモン山に登られたのです。
ヘルモン山は、パレスチナの北方、海抜2,800メートルを越える最高峰で、長さが32キロにも及ぶ連山であり「アマナの頂から、セニルとヘルモンの頂」(雅4:8)とあるように三つの頂を持つ非常に大きな山で、万年雪を抱いていました。
おそらくイエス様の一行は、中腹くらいまで登ったのではないでしょうか。イエス様が祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いたのです。
この光景は、三人の弟子たちから見たものです。今までひざまずかれて祈っておられたイエス様が立ち上がっておられたのです。
三人は、もう眠くて仕方がなく、焚き火に暖まっていて、うつらうつらしていましたから、この光景が夢か幻であったと思ったとしても、何ら不思議ではありません。
良く目を凝らすと、イエス様が二人の人と話し合っているではありませんか。もしこの二人が、歩いて来ましたなら、三人にはすぐに分かったはずです。そうではなく、この二人は突然に現われたのです。
一人はモーセであり、律法の代表です。そしてもう一人は、生きたまま天に引き上げられたエリヤであり、預言者の代表です。つまり「律法と預言者」、すなわち「旧約聖書」を指し示し、その代表として現われていることになります。
この夢のような出来事は、もちろん主イエス様に対する父なる神の御心の確認であったわけですが、一番大きなことは、三人の弟子たちの為であったと言うことなのです。
聖書には、はっきりと書かれていませんが、この世に存在しないほどに真っ白に光輝いていたのは、主イエス様ではなかったではないでしょうか。
そしてイエス様を中心として、モーセとエリヤが話していたのです。しかもその話の内容は、イエス様がエルサレムにおいて遂げようとしておられるご最期についてであったのです。
三人の弟子たちには、その話された内容が、何のことであるのか、この時でさえ、全く理解出来なかったに違いありません。彼らがこの意味を知ることになるのには、主イエス様の十字架と復活を通らなければならなかったのです。
おそらく後ほどに意味が分かったはずです。それは、聖書(旧約聖書)に預言されたメシヤこそ、主イエス様であられると言う意味なのです。
ところで、この変貌山の出来事は、夢か幻であったのでしょうか。私はそう思えないのです。三人の弟子たちは、確かに眠くて仕方がなかったのですが、はっきりとその光景を目撃し、そして自分の耳で、直に聞いたのです。》