◇◆◇日々のみ言葉
2017年6月8日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書9章33節】
9:33 それから、ふたりがイエスと別れようとしたとき、ペテロがイエスに言った。「先生。ここにいることは、すばらしいことです。私たちが三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。
◎ショートメッセージ
《マタイの福音書における平行記事では、
『しかも、モーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。
「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」(マタイの福音書17:3~17:4)』
そしてマルコの福音書における平行記事では、
『また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていた。すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。
「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。私たちが、幕屋を三つ造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
実のところ、ペテロは言うべきことがわからなかったのである。彼らは恐怖に打たれたのであった。(マルコの福音書9:4~9:6)』
変貌山の出来事は、このように三つの共観福音書に記載されています。三つの記事を比較してみますと、モーセとエリヤがイエス様と話し終えて、分かれようとした時に、ペテロが口出したことが分かります。
ペテロの突拍子もない発言は、三つの福音書では、ほぼ同じ内容になっています。しかしルカでは、ペテロが三つの幕屋を造ると言っており、マタイとマルコでは、「私たち」と複数形になっており、三人で幕屋を造るとなっています。
それほどたいした違いが無いように思えるのですが、もしルカが書いた記述が本当のことだとしたら、間違いなくペテロは、自分こそが十二使徒のリーダーであり、イエス様の次に偉いのだ、と高慢になっていたことが分かるのです。
クリスチャンならば、誰もが知っているように、ペテロは、大祭司の庭において、焚き火に暖まりながら、主イエス様を三回、「そんな人は知らない。」と、否定することになります。ペテロの高慢が粉々に打ち砕かれるのです。
「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」実はこの発言は、大きな問題を含んでいます。
マルコは、彼らは恐怖に打たれたと書いています。それは畏怖の念ではなく、言葉の通り「恐怖」すなわち「恐れ」たのです。それだからこそ、ペテロは言うべきことが分からなかったとなっているのです。
ただ、ペテロは「幕屋」が何であるのかを知っていました。本来幕屋は、神様を礼拝する為に存在するものです。それがソロモン時代には、神殿となったのです。
モーセもエリヤも、偉大な人物ですが、人間です。彼らは、決して礼拝の対象ではありません。それゆえ、モーセとエリヤの為に幕屋を造るべきではないのです。イエス様だけが、礼拝すべきお方なのです。》