◇◆◇日々のみ言葉
2017年6月19日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書9章47節~48節】
9:47しかしイエスは、彼らの心の中の考えを知っておられて、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、
9:48 彼らに言われた。「誰でも、このような子どもを、私の名のゆえに受け入れる者は、私を受け入れる者です。また、私を受け入れる者は、私を遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」
◎ショートメッセージ
《さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、誰が一番偉いかという議論が持ち上がったのです。
マルコの福音書によりますと、イエス様と弟子たちの一行がカペナウムの家に着いた時に、主イエス様が、弟子たちに質問されました。
「道で何を論じ合っていたのですか。」
彼らは黙っていました。なぜなら道々、誰が一番偉いかと論じ合っていたからです。
彼らは黙っていれば、イエス様には分からないと思ったのかも知れません。しかしイエス様は神様であられるのです。すでに弟子たちの思いは、すべて知っておられました。
そこでイエス様は、「ひとりの子ども」の手を取られ自分の側に立たせたのです。この子どもが誰であるのか、ルカは書き記していませんが、イエス様は、カペナウムの湖畔にあるシモン・ペテロとその弟アンデレの家をガリラヤ宣教の本拠地としておられました。
とすれば、ペテロの子どもであることは一目瞭然です。私たちはペテロが結婚していたことを知っています。そしてしゅうとめを引き取っていたことも知っています。
ただ不思議なことに、ペテロや他の使徒たちの妻の名前や、また子どもたちの名前が聖書には書かれていないことです。
これもあえて聖霊様が、そうさせたのかも知れません。
当時のユダヤでは、現在と違い、子どもは、全く価値の無い者とされていました。それゆえ子どもたちは、早く大人扱いされることを望んで、日々勉強に励んでいたのです。13歳のバル・ミツバを目指して。
イエス様は、「誰でも、このような子どもを、私の名のゆえに受け入れる者は、私を受け入れる者です。また、私を受け入れる者は、私を遣わされた方を受け入れる者です。」と言われました。
つまり、価値の無いものとされていた者を、価値の有る者とせよ、と言われたのです。
そして続いて、「あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」と言われました。これはこの子どもこそが、一番偉いと言うことです。弟子たちは、心の中では憤慨したでしょうし、またイエス様の言われた真意を分かりかねていました。
それでは、どのような意味なのでしょうか。それは、子どもは自分には価値がないと言うことを知っていることなのです。つまりへりくだっているのです。
神様の御前に、また人々の前にへりくだった謙遜な者こそが、一番偉いのです。神様と人に仕える者こそが、真のリーダーであり、先の者となれるのです。》