◇◆◇日々のみ言葉
2017年6月25日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書9章56節】
9:56 そして一行は別の村に行った。
◎ショートメッセージ
《今日はたった一行の学びとなります。
イエス様の一行とは、イエス様を中心として、十二使徒、そしてそれに続く七十人の弟子たち、そしてマグダラのマリヤと主の母マリヤを中心とする女たち、全部あわせて総勢で百人近く、いやそれ以になっていたかも知れないのです。
イエス様は、この時あえてエルサレムに行くのに、サマリヤ経由の道を選ばれました。ガリラヤからエルサレムに行く一番の近道は、サマリヤ経由で三日で行き着くことが出来たのです。
よってエルサレムに急ぐ者は、ユダヤ人であったとしてもこの道を通らざるを得なかったのです。
この箇所に出て来ます「別の村」とは、具体的にどこを指すのでしょうか。サマリヤの村でしょうか。あるいは、すでにサマリヤを抜けてユダヤに入っており、ユダヤ人の住む村なのでしょうか。聖書には書かれてはいません。
さてイエス様は、サマリヤの町々においても、またそこを抜けて、ユダヤの村においても、いやしと悪霊追い出しのミニストリーは、いつものようになされたに違いありません。
ただこの時には、すでにその権威を与えられていた十二使徒を中心として、そのミニストリーを行なっていたことが考えられます。
この後、三人の人がイエス様に同行することの許可を求める場面となります。もちろんこの頃には、イエス様の評判と名声は、ユダヤ地方だけではなく、遠くローマにまで広まっていたかも知れないのです。
お伴することを願い出た人も、イエス様のなされた数々のいやしの奇蹟やしるしを見て、驚嘆したからに違いありません。
あるいは弟子たちが、主イエス様と同じように、いやしの奇蹟や悪霊を追い出すのを見て、自分もその一員になりたいと考えたとしても、決して不思議ではありません。
しかし、この先には、何が待っているのでしょうか。イエス様は、エルサレムに向かわれる道すがら、弟子たちにこのように話しておられたのです。
『「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」(マタイの福音書20:18~20:19)』》