◇◆◇日々のみ言葉
2017年6月26日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書9章57節~58節】
9:57 さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」
9:58 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
◎ショートメッセージ
《今日から、イエス様がエルサレムに向かわれる時に出会った、三人の男性について学んで行きます。
イエス様は、この三人の男性との会話を通して大切な真理を教えておられます。
まずその一人目との会話を見て行きましょう。
「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」
この言葉から分りますように、彼は弟子にして欲しいとお願いしているのです。
覚えておられるでしょうか。実は、当時のユダヤでは、ラビに弟子入りをお願いする一つの慣用句と言った決まり事が存在するのです。
そして弟子入りを許可する場合と、許可しない場合のラビの答えも慣用句となっているのです。
なぜなら、当時は多くのラビがいて、また高名なラビは多くの弟子を持っていました。それゆえ、ラビも、また弟子志願の者たちにも、貴重な時間を無駄にしない為、慣用句としての決まり事があったのです。
ヨハネの福音書には、それが書き記されています。
『ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は十時ごろであった。
ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。(ヨハネの福音書1:37~1:40)』
「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」が、弟子入り願いの慣用句です。
そしてオーケーの場合には、
「来なさい。そうすればわかります。」あるいは、
「ついて来なさい。」です。
またノーの場合には、
「私がどこに泊まろうと、あなたがたには関係がありません。」あるいは、
「泊まる場所を教えることは出来ません。」です。
さて、この人は、「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」とイエス様に聞きました。
そしてイエス様のお答えは、
「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」でした。つまり寝泊まりする所はないと言うことです。これは許可しないことを意味しています。
そして、イエス様の弟子になると言うことは、この世に枕する場所、つまり家を持つのではなく、天に住まいを持つと言う奥義も教えていることになるのです。
実際に、救われた者たちに取って、この世において与えられている物はすべてが恵みです。そして私たちの本当の住まいは天にあるのです。》