◇◆◇日々のみ言葉
2017年7月4日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書10章6節】
10:6「もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様が、十二使徒とは別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先に遣わした時に、彼らに言われた教えについて学んでいます。今日はその四回目となります。
イエス様は、
「どんな家にはいっても、まず、『この家に平安があるように。』と言いなさい。」
と言われ、引き続き、
「もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。」
と言われました。
遣わされた町や村において、主の御名の権威によって、病人をいやし、悪霊を追い出して解放した働きをするにつれ、宿泊に招かれた家に入ったとしたら、まず最初に、「この家に平安(平和)があるように。」と言いなさい、と言うことなのです。
しかも「どんな家であっても」なのです。
見たからに裕福な家であっても、あるいは貧しい家であってもです。その家こそが、神様が、あるいは主イエス様が、その二人のチームに用意された家だからです。
「もしそこに平安の子がいたら」とは、「子ども」を意味してはいません。その家のあるじ、あるいはその妻、あるいはその兄弟・姉妹を指しています。イスラエルにおいて、すでに大人として認められている青年、女子をも含めた一人前の大人を指し示しているのです。
「平安の子」とは、主イエス様を、メシヤとして信じ受け入れる人を言うのです。弟子の働きを通して、やがて来られる主イエス様こそ、キリストであることを信じることを表わしています。
そして、「もしいない」とは、主イエス様をメシヤとして、受け入れる人が誰もいない場合を表しています。
しかし、弟子たちが運んで来た「平安」「平和」は、決して無駄にはならず、やがてその「平安」と「平和」は、その弟子の所に戻って来ると言われるのです。
ここに信じられないほどの真理と奥義があります。
もし私たちが、祝福するならば、その家に祝福されるべき人がいるならば、その人に祝福が留まることをも意味しています。そして、その家に「祝福を受けるべき人」がいないとしたら、その祝福は、私たちに戻って来るのです。
まさに使徒パウロが言う通りなのです。
『あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。(ローマ人への手紙12:14)』》