◇◆◇日々のみ言葉
2017年7月9日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書10章15節】
10:15「カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様が、十二使徒とは別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先に遣わした時に、彼らに言われた教えの学びの九回目となります。
イエス様は、ガリラヤの町コラジンとベツサイダに対して預言されました。
「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちの間に起こった力あるわざが、もしもツロとシドンでなされたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰の中にすわって、悔い改めていただろう。しかし、さばきの日には、そのツロとシドンのほうが、まだおまえたちより罰が軽いのだ。」
イエス様は、ガリラヤを中心として伝道を行なわれた時、少なくとも一回以上は、この地に足を運んでいます。もちろん、ただ足を運んだだけではなく、その町において病人のいやし、あらゆるわざわいのいやし、そして悪霊からの解放を行なわれています。
しかし、この二つの町は、イエス様が神の御子である証拠としてのしるしを見ても、真には悔い改めなかったと言われています。それゆえ、裁きの日には、跡形も無くなってしまうようです。
そして次に言われたことは、まさに衝撃的なことです。
「カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。」
イエス様は、カペナウムを愛しておられました。そこにはシモン・ペテロと弟アンデレの家があったからです。そしてシモンのしゅうとめもそこにいました。カペナウムこそが、イエス様のガリラヤ伝道の本拠地でありました。イエス様は、カペナウムを我が町と呼んでおられたのです。
そのカペナウムに対する預言がこれなのです。
マタイの福音書によりますと、
『カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」マタイの福音書11:23~11:24)』と書かれてあります。
主イエス様は、「ソドム」では、ご自身の御わざをなさいませんでした。この時にはすでに、ソドムとゴモラは、滅ぼされ、この世には存在していなかったからです。
カペナウムにおいては、そこに戻って来るたびに、多くの人々の病をいやし、煩いをいやし、悪霊からの解放を行なわれたのです。
それほどの奇蹟を見たにもかかわらず、あるいは直接体験したにもかかわらず、真の悔い改めがなかったとしたら。
キリスト教は、決して御利益宗教ではありません。生きる神「御子イエス・キリスト」を、救い主として、信じ受け入れることなのです。
主イエス様の力と御恵みを知って、それでも堕落するとしたら、もうハデスしか行くべき所は、無くなってしまうのです。
私たち人間が、死後行くべき所は、御国か、それとも地の底にあるハデスのどちらかしかないのです。
アブラハムの時代、堕落しきったソドムとゴモラは、死海の畔にありましたが、滅ぼされ、ロトと二人の娘だけが救われました。その町の方が罪が軽いと言われるのです。》