◇◆◇日々のみ言葉
2017年7月18日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書10章23節】
10:23それからイエスは、弟子たちのほうに向いて、ひそかに言われた。「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、ご自身の中に共におられた聖霊様と共に、天に向けて両手を挙げ、父なる神様を賛美し礼拝されたのです。
その時、弟子たちは、イエス様の後方に位置していたと思われます。それからイエス様は、手を降ろされ、後ろを振り返り、弟子たちのほうに向いて言われました。
「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。」
この言葉は、イエス様は、過去の人たちに向けて言われたのです。そればかりではありません。未来の人たちに向けても言われたことなのです。
特に、主イエス様がオリーブ山において、弟子たちの見ている間に、聖霊様によって、天に引き上げられる「昇天の日」まで。その映像のライブを見た者の目は。
その日まで、イエス様は三年半の公生涯と、墓の中の三日間、そして生きているお姿を親しい人々に現わされた四十日間。この短い期間において、主イエス様のなされた御わざを見た者は、そしてその目は何と幸いなことなのでしょうか、と言われたのです。
特に、新約聖書二十七巻の約二分の一に当たる十三巻を書いた使徒パウロこそ、そう思ったのではないでしょうか。彼は間違いなく、十字架に掛けられる前のイエス様とは、個人的には会ってはいません。
十二使徒と違い、いつもそのことを引け目に感じていたかも知れないのです。
「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。」
今から約二千年ほど前に、イエス様は、本当に実在されたのです。おとぎ話でも、作り話でも、決してありません。
そのお姿をじかに自分の目で見、まさしく神様の声であるその声を、じかに自分の耳で聞き、そして、神様でありながら、まことの人であったイエス様に、自分の手で触れ、あるいはイエス様にハグされて、その体温をじかに感じた人々は、本当に何と幸いなのでしょうか。
残念ながら、今の私たちは、この時の十二使徒たちのように、イエス様をこの目で見ることも、この耳でイエス様の声を聞くことも出来ないのです。
しかし、必ずその日は訪れます。私たちクリスチャンは、やがて空中において、主イエス様とお会いします。その時、私の目は、イエス様を見、私の耳はイエス様の声を聞き、ハグして下さるのです。ハレルヤ!
「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。」》