◇◆◇日々のみ言葉
2017年7月19日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書10章24節】
10:24「あなたがたに言いますが、多くの預言者や王たちがあなたがたの見ていることを見たいと願ったのに、見られなかったのです。また、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けなかったのです。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、弟子たちのほうに向いて、ひそかに言われました。
「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。」
そして、その続きに言われたことが、今日の聖書箇所となります。
「多くの預言者」とは、具体的に誰を指すのでしょうか。もちろん旧約聖書に、その預言書を書き記した預言者全員を指し示すことは、間違いありません。
しかし、その中でも、あえて一人だけを挙げるとしたら、誰になるのでしょうか。
私は、預言者イザヤではないかと思うのです。
ずいぶん昔のことですが、イザヤ書は、イザヤだけではなく、少なくとも三人の預言者によって書かれたとされて来ました。
よって第一イザヤ、第二イザヤ、第三イザヤという、まことに可笑しな区分を、かつての聖書学者はしていたのです。
私は、イザヤがイザヤ書をすべて書いたと信じていましたし、近年になって、やはりイザヤが全部書き記したという説が有力となって来たそうです。
イザヤは、多くの「メシヤ預言」を聖霊様から与えられ、示され、霊感を持って書き記しました。「悲しみのメシヤ」そして「栄光のメシヤ」と。イザヤほど、イエス様の訪れを、待ち望んだ預言者はいないと、私は思うのです。
そして同じく、数多く存在した王の中で、あえて一人だけを挙げるとしたら、もうダビデしか、当てはまる王はいないではありませんか。
同じく、ダビデ王にも、多くの詩篇を通して「メシヤ預言」が与えられています。特に詩篇23篇における、「主は私の羊飼い」では、イエス様ご自身が、ご自分を「良い羊飼い」と言われており、ダビデの主であることを証されています。
「十字架」における主の苦しみをも、ダビデは詩篇を通して預言しているのです。
歴史に残るイスラエルの預言者と王たち。残念ながら、彼らの時代には、メシヤなるイエス様は来られませんでした。
彼らにとっては未来でしたが、私たちにとっては、今から二千年ほど前に、主イエス様は来られたのです。
そしてそのメシヤなるお方を見たのは、王でもなく、また高貴な者でもなく、学の無い漁師であり、取税人であり、名も無き一般の人々であったのです。
十二使徒たち。そして彼らに続く七十人の弟子たち。イエス様に付き従った多くの女性たち。彼らは、まことに人間となられた創造主なる神様を、その目で見、またその声を聞いたのです。これがどれほどに栄光に満ち溢れたことなのか、真に知るのには、まだ先のこと。そうです十字架と復活の起こった後なのです。》