◇◆◇日々のみ言葉
2017年10月5日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章41節】
12:41 そこで、ペテロが言った。「主よ。このたとえは私たちのために話してくださるのですか。それともみなのためなのですか。」
◎ショートメッセージ
《ここでも、シモン・ペテロは十二使徒のリーダーとして、当を得た質問をしています。
このたとえ話は、十二使徒たちに取っては、一体何のことか皆目見当がつかなかったに違いありません。
なぜならこのたとえは、彼らを残してイエス様は、一度どこかに行かれることが前提だからです。
ルカの福音書は、一番時制が正確であると言われています。すなわちルカは、友人テオピロの為に、起こった出来事を、順序立てて書き記したのです。
このたとえ話をされるかなり以前に、イエス様は、ピリポ・カイザリヤにおいて、ご自分が誰であるのかを弟子たちに示されました。
『さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちが一緒にいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。
「群衆は私のことをだれだと言っていますか。」
彼らは、答えて言った。
「バプテスマのヨハネだと言っています。ある者はエリヤだと言い、またほかの人々は、昔の預言者のひとりが生き返ったのだとも言っています。」
イエスは、彼らに言われた。
「では、あなたがたは、私をだれだと言いますか。」
ペテロが答えて言った。
「神のキリストです。」
するとイエスは、このことをだれにも話さないようにと、彼らを戒めて命じられた。
そして言われた。
「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」(ルカの福音書9:18~9:22)』
この時、シモン・ペテロが、聖霊に満たされた「キリスト」告白をしたわけです。その時に、イエス様は最初の受難予告をされました。
それだからこそ、シモン・ペテロが質問したのです。
「主よ。このたとえは私たちのために話してくださるのですか。それともみなのためなのですか。」
ここで言う「私たち」とは、十二使徒を指し、「みな」とは、主イエス様を信じるすべての人を指しています。
その質問の答えについては、明日学びます。》