◇◆◇日々のみ言葉
2017年10月7日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章45節~46節】
12:45「ところが、もし、そのしもべが、『主人の帰りはまだだ。』と心の中で思い、下男や下女を打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めると、
12:46 しもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。そして、彼をきびしく罰して、不忠実な者どもと同じめに合わせるに違いありません。」
◎ショートメッセージ
《「主よ。このたとえは私たちのために話してくださるのですか。それともみなのためなのですか。」
と、シモン・ペテロがイエス様に質問しました。
その答えとしてイエス様は、まず「忠実な思慮深い管理人」について話されました。
「では、主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食べ物を与える忠実な思慮深い管理人とは、いったいだれでしょう。
主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。私は真実をあなたがたに告げます。主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。」
そして、その次に言われたのが、「不忠実な管理人」についてです。ここから、「主人の帰りを持つしもべ」には、「忠実な思慮深い管理人」と、そうでない管理人がいることが分ります。
そして、彼らに与えられる褒美の内容も正反対となっているのです。
「忠実な思慮深い管理人」には、主人は自分の全財産を任せるようになるのですが、、「不忠実な管理人」には、ご褒美どころか、厳しい罰と裁きが待っていると言われるのです。
昨日は、「忠実な思慮深い管理人」とは、十二使徒と、主の教会を任された長老や指導者に当てはめて話ましたが、どうやらそれだけではないようなのです。
すなわち、イエス様の言われたことは、すべてのクリスチャンに当てはまると言うことです。
なぜなら、私たちに与えられたものすべて、つまり時間や財産、そして賜物とも言うべき様々な才能をも示しているのです。
これを、忠実に思慮深く、しかも主イエス様の為に使ったのかどうかが問われているのです。
それに比べ、不忠実なしもべは、主人はまだ帰って来ないと自分勝手に思い、下男や下女を打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりしていると言われるのです。
これは、まさしく「怠け者」の何ものでもありません。
聖書は、決して「怠け者」を容認してはいません。「働かざる者は食うべからず。」なのです。
私たち全員は、やがて主の御前に、人生の会計報告をしなければならないのです。今からでも、「忠実な思慮深い管理人」として、歩み始めようではありませんか。》