• 日々のみ言葉 2017年10月8日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年10月8日(日)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書12章47節~48節】
    12:47「主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
    12:48しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。」

    ◎ショートメッセージ
    《今日の日々のみ言葉の聖書箇所は、誤解が生じやすい箇所とも言えます。

     尾山令仁先生の現代訳を掲載します。

    『12:47「ところが、主人の心を知っていながら、その主人の願っている通りの用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
    12:48しかし、知らなかったために、むち打たれる場合は、打たれても、少しで済みます。才能、財産、そのほか神様から多くのものを与えられた者は、多くのものを要求され、多くのものを任された者は、それだけ多くのものを要求されます。」』

     どの箇所が誤解が生じやすいかと言いますと、
    「しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。」のところです。

     これは、どのようなことかと言いますと、次にイエス様が言われた言葉にそのヒントが隠されています。

    「すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。」

     つまり、その人がその人生においてイエス様と出会い救われた時を基準として、イエス様は語られているのです。

     私たちの命は、イエス様が司っておられます。もし若くして十代で救われた青年がいるとして、その人の寿命と言いますか、イエス様が召されるのが七十代としたら、その人のクリスチャン人生は、大まかですが六十年となります。まさに前者に属することになります。

     しかしある人が、その人生の終わりにおいて、まさに心臓が止まろうとしている数時間前に、奇蹟的にイエス様を信じ受け入れて病床洗礼を受けたとします。その人は間違いなく後者に属します。

     とするならば、早くイエス様を信じ受け入れた者の方が、多く与えられた者であり、また多く任された者であって、その者は多く求められ多く要求されることになるわけです。そして不忠実であるならば、ひどくムチ打たれ、しかも不忠実な者たちと同じ裁きを受けると言うことになります。

     それだったら、イエス様を信じ受け入れるのは、それこそ死の直前で良いことになってしまいます。つまり早くイエス様に出会った者は、損をし、人生の終わりにイエス様を信じた人のほうが得だと言うことになるのです。

     ここに信仰告白や洗礼の遅延を望む者が出て来ないわけでもないのです。

     しかし、これは悪魔の計略なのです。イエス様を信じ受け入れた者には、「永遠のいのち」が与えられます。それは、紛れもない真実なのです。

     私たちは、どんな時でもイエス様の栄光を帰す為に、生きて行くのです。聖霊様と共に歩む者は、みな、「忠実なしもべ」となるのです。》

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