◇◆◇日々のみ言葉
2017年10月26日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書13章23節~24節】
13:23 すると、「主よ。救われる者は少ないのですか。」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。
13:24「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、公生涯最後の「過越の祭」に巡礼する為にエルサレムへの旅を続けておられました。
その時イエス様は、町々村々を次々に教えながら、ゆっくりそしてじっくり時間をかけて都上りをされたのです。
そんなある日のことです。
「主よ。救われる者は少ないのですか。」と、質問する人がありました。
質問した人が一体誰であるのか、見当出来ませんが、少なくとも弟子ではないことは明白です。おそらく本当に神様を求めていたユダヤ人の一人であったかと思われます。
「山上の垂訓」においても、イエス様は同じ教えを、これよりも詳しく弟子たちになされました。
『「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。(マタイの福音書7:13~7:14)』
救われる為には、「門」を通らなければならないのです。そして、その「門」は狭いと言われるのです。
その「門」こそ、イエス様なのです。イエス様を通してでなければ、誰であっても父の御元に行くことは出来ないのです。
そしてイエス様は「努力して」と言われました。これは、私たちにもするべきことがあると言うことです。
それは一体何なのでしょうか。
イエス様を信じ、信頼し続けることです。イエス様に従い続けることです。イエス様だけを見続けることなのです。
また、「はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。」とも言われました。
これはどのようなことかと言いますと、「門」は閉じられることがあると言うことなのです。いや、閉じることが出来るからこそ「門」なのです。開いてばかりいたとしたら門ではなく、ただの入り口になってしまいます。
人間が救われる唯一の「救いの門」は、まだ開かれています。まだすべての人が、見い出しさえすれば、入ることが出来るのです。
しかし、やがてその門が閉じられる時が来ます。いや、来ようとしているのです。一人でも多くの日本の人々が、その門を見い出すことが出来るようにと、先に救われた私たち一人一人が、その道標として立てられているのです。》