◇◆◇日々のみ言葉
2017年10月27日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書13章25節~26節】
13:25 家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください。』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない。』と答えるでしょう。
13:26 すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ご一緒に、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』
◎ショートメッセージ
《イエス様が、エルサレムへの旅を続けていた時のことです。イエス様は、様々な町々や村々を通りながら、教えておられました。
すると、「主よ。救われる者は少ないのですか。」と質問する人がいたのです。
これは、唐突な質問ではありません。ルカは、ある人が質問した時点から福音書に書き記していますが、この質問が成される為には、その前にイエス様による「救い」に関する教えがあったことが察し出来ます。
例えば、マタイの福音書に書かれた「山上の垂訓」からの、
『「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイの福音書7:14)』と言うような教えがあったとしたら、
「主よ。救われる者は少ないのですか。」と言う質問が、成り立つわけです。
するとイエス様は、
「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。」と言う答えが、引き出されたと言うわけです。
そして次に言われたことが、本日の御言葉なのです。
ここで、イエス様が「家」と言われたのは、「天の住まい」を予表しています。
『「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。私が行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを私のもとに迎えます。私のいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネの福音書 14:1~ 14:4)』と書かれた通りなのです。
そして、外で門を叩いている人々は、「主人」が誰であるのか、知っている人々なのです。「主」が誰であるのかを、全く知らない人々ではないのです。
なぜなら彼らは、
「私たちは、ご一緒に、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。」からです。
しかしこれは門の外での出来事なのです。つまり福音を聞いて、あるいは教会に一度でも出席して、み言葉を聞いた人々を指しているのです。しかし彼らは、主の招きに応じようとはしませんでした。彼らは引き延ばしたのです。
今はまだ、天国の家の門は開かれています。開いているのです。私たちは、そこから出て行って、この世の人々に、「救いの門」の場所を指し示す道標(みちしるべ)なのです。》