◇◆◇日々のみ言葉
2017年11月7日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書14章7節~11節】
14:7 招かれた人々が上座を選んでいる様子に気づいておられたイエスは、彼らにたとえを話された。
14:8「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座にすわってはいけません。あなたより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、
14:9 あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください。』とあなたに言うなら、そのときあなたは恥をかいて、末席に着かなければならないでしょう。
14:10招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、『どうぞもっと上席にお進みください。』と言うでしょう。そのときは、満座の中で面目を施すことになります。
14:11なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。
イエス様が話された、「婚礼の披露宴」のたとえですが、まずパリサイ人や律法学者たちは、普段、婚礼の披露宴において、いつも上座に座っていたことが分かります。
つまり彼らは、食卓に招かれた席、あるいは披露宴の席には、上座に座っていたのです。当然、自分たちこそが、上座に座るのに相応しい人物であると自負していたからです。その彼らに、イエス様は上座ではなくまず始めに末席に座るように勧めておられるのです。
この勧めに対して、彼らは非常にイエス様に向かって、怒りを覚えたはずです。なぜなら、自分たちは決して末席に座る者ではない、そのような恥ずかしいことをどうしてやれようか、と思ったのです。
イエス様が言われたこのたとえは、実は深い意味が込められています。
「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」と、最後に結論として言われたことが、重要なのです。
これは、「自分は本当は上座に座るべき者だが、まず末席に座れば、そこの主人が上座に案内してくれるだろう。」と言うような「駆け引き」ではないのです。
もしそうだとしたら、私たち日本人は、まさに好んで末席に座ろうとしますから、まさしくイエス様が言われた、この結びの言葉を実践していることになります。
何度も言います。神様は、その人の心を見られるのです。
「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
これは人前のことではありません。これは神様の御前において、へりくだることを意味しています。
絶対者なる神様の御前にひれ伏し、神様の御前に、自分が無であること、自分はこのままでは神様の御前に決して立つことは出来ない、と自分をそのような存在であることを認めることなのです。
神様の御前には、すべての人が罪人です。イエス様の十字架を通さなければ、誰も父なる神様の御もとに行くことは出来ないのです。
神様に対して自分を低くする者こそが、神様が用いてくださり、そして霊的世界において高くしてくださるのです。》