◇◆◇日々のみ言葉
2017年11月17日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書14章33節】
14:33「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、私の弟子になることはできません。」
◎ショートメッセージ
イエス様はご自身と一緒に歩いていた群衆に向かって言われました。
「私のもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、私の弟子になることができません。自分の十字架を負って私について来ない者は、私の弟子になることはできません。」
これは、群衆に向かって、これからも物見遊山で行くのか、あるいは弟子になるのか、決断を促したのです。
そしてその後に、「塔の建築」と「王の戦い」のたとえを話されたのです。そして、その結論が、今日のみ言葉です。
「あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、私の弟子になることはできません。」
これは、「自分の財産を捨てて、あるいは人々に分け与えて無一文になりなさい。」、と言う意味ではありません。
もし、そんなことをしたらクリスチャンは皆、貧困の中を歩むことになってしまいます。それは決して良い証しには、なりえないのです。
イエス様の教えには、深い意味が隠されています。
それは、所有権を主に委ねることなのです。この世の基準は、地位や富や名声です。使い切れないほどの財産を持っている者が成功者だと言われています。
しかし主イエス様は、はっきりと言われています。
『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。(マタイの福音書6:24)』
悪魔は、この世の支配者です。イエス様の十字架の死と復活によって、すでに悪魔は完全に打ち負かされましたが、まだこの世に不法滞在しています。
悪魔は、イエス様の福音に対して、富や名声や地位などを餌にして、人々の魂を滅びに至らせているのです。
それゆえ人は、まことの神様であり救い主であるイエス様を選ぶのか、この世を選ぶのか、どちらを選ぶのか、決断しなくてはならないのです。
それでは、主イエス様の弟子になることを選び、財産の所有権を主イエス様に委ねた人は、今後の生活はどのようになるのでしょうか。
それは、イエス様が言われたように、父なる神様が責任を取って下さるのです。
『「だから、私はあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、私はあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書6:25~6:34)』
このみ言葉は、真実であり真理なのです。》