◇◆◇日々のみ言葉
2017年11月23日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書15章3節~7節】
15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
15:4「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、一緒に喜んでください。』と言うでしょう。
15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所、「いなくなった一匹の羊」あるいは、「九十九匹の羊」のたとえについて学んで行きます。
「羊飼い」は、いなくなった一匹の羊を捜しに、山や谷などに行き、捜し回ります。ただ捜すのではありません。
なぜなら羊には、一匹一匹に名前がついているのです。その名を呼んで捜すのです。
主イエス様はこのように弟子たちに言われました。
『「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。
門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」(ヨハネの福音書10:1~10:5)』
キリスト教は、十把一絡げの宗教ではありません。この天地を創造され、人格を持っておられる神様と、一人一人の、その人の人格との関係なのです。
それゆえ「良き羊飼い」であられるイエス様は、真っ暗闇の中に迷子となった一匹の羊を捜し回られるのです。羊は、夜はほとんど目が見えません。また羊ほど方向音痴な家畜はいないのです。
残された九十九匹の羊は、羊囲いの中に入れられて安全です。
そしてついにイエス様は、その羊のかすかな弱った鳴き声を耳にします。そしてご自分の羊を見つけ出されます。その羊は、傷ついており、また弱っており、もはや自分で歩くことは出来ません。それゆえ、イエス様は、その羊をかつがれ、仲間のいる所に運んで行くのです。
そして帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、
『いなくなった羊を見つけましたから、一緒に喜んでください。』
と言うわけです。それから盛大な宴会が催されることになります。
そして結論が、
「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」と言うことです。
今も同じです。ひとりの人が救われた時、天の御国では、御使いたちが、大興奮して喜び踊るのです。
私たちは、羊囲いの中にいる九十九匹の一匹ではありません。羊飼いが捜し出された迷子となった一匹なのです。そのことを決して忘れてはならないのです。》