• 日々のみ言葉 2017年11月22日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年11月22日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書15章3節~7節】
    15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
    15:4「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
    15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
    15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、一緒に喜んでください。』と言うでしょう。
    15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《ルカの福音書の学びも、昨日から15章に入っています。

     さて、取税人、罪人たちがみな、イエス様の話を聞こうとして、みもとに近寄って来ました。当時、取税人や遊女たちは、人々から忌み嫌われていましたから、その光景を見たパリサイ人や律法学者たちは、つぶやいてこう言ったのです。

    「この人は、罪人たちを受け入れて、食事まで一緒にする。」

     彼らはイエス様に、あえて聞こえるように言ったのか、あるいは小さいな声でつぶやいたのかは、ここからでは分かりません。
     しかしイエス様は、すべてをご存知であられる神様ですので、瞬時にして彼らの思いを読み取ったのです。
     そこで三つのたとえを話されました。

     一つ目は、「いなくなった一匹の羊」のたとえであり、
     二つ目は、「無くした銀貨」のたとえであり、
     三つめは、有名な「放蕩息子のたとえ」です。

     今日と明日の二日間をかけて、まず最初に話された「いなくなった一匹の羊」、あるいは聖歌においても歌われていますように、「九十九匹の羊」のたとえについて学んで見たいと思います。

     イエス様は、「私は良い羊飼いである。」と言われましたが、「ある人」すなわち「羊飼い」は、イエス様ご自身であり、「百匹の羊」とは、羊ではなく、百人の人々を表わしています。

     この「羊飼い」は、百匹の羊を持っていました。しかしある夜、羊を休ませようとして、野に設けられた羊囲いの中に入れようとした時、九十九匹しかおらず、一匹が見当たらないのです。どうやら群れから迷い出てしまったようです。

     そこでその羊飼いは、九十九匹を囲いの中に残し、門を閉め、その迷い出た羊を捜しに、真っ暗闇の中に出かけて行ったと言う「たとえ」なのです。

     この設定で一番大切なことは、羊飼いが持っていた羊の数は、最初から百匹と言うことなのです。つまり迷い出た羊は、最初は群れの中にいたのです。群れの中にすでに属していたのです。九十九匹しかおらず、そこに、どこからか迷い出ていた羊をたまたま探して見つけ、その数の中に加えたと言うことではありません。

     この「羊」は最初から主イエス様の持ち物なのです。
     この比喩は、私たち一人一人が、迷い出た一匹の羊であることを表わしています。本来、自分がいるべき家(住まい)、そして主の御元から迷い出てしまい、迷子となって泣き叫んでいるのです。明日も引き続き同じ箇所から考えて見ます。》

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