◇◆◇日々のみ言葉
2017年12月4日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書15章29節~32節】
15:29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
15:31 父は彼に言った。『おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは、全部おまえのものだ。
15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
◎ショートメッセージ
《11月26日から「放蕩息子のたとえ」の学びを行なって来ましたが、焦点を兄息子に絞って、さらに深く考えて見ることにしましょう。
まず弟息子だけでなく、父親は兄息子にも財産の半分を分けてあげたのです。兄息子も遺産の生前授与をしてもらったのです。
それだからこそ、父親は、
「おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは、全部おまえのものだ。」と言われたのです。
このことを兄息子は知っていたのでしょうか。認識していたのでしょうか。もし理解していたのなら、
「ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。」、と父親に訴えるでしょうか。
兄息子は、父親に求めれば良かったのです。友人が訪ねて来たのなら、父親に「お父さん。友人が来ましたから、子山羊一匹を料理しますので、屠って良いでしょうか。」と言えば良かったのです。
そうすると父親は、「私の物はすべてお前の物だから、そのようにしなさい。」と言ってくれたのです。
私たちクリスチャンは、この兄息子と同じような過ちを犯し易いとも言えます。
主イエス様は弟子たちに言われました。
『また私は、あなたがたが私の名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、私の名によって何かを私に求めるなら、私はそれをしましょう。(ヨハネの福音書14:13~14:14)』
祈り求めるのです。父なる神様に主イエス様の御名によって祈り求めれば良いのです。それが与えられるまで、その願いが成就するまで祈り求め続ければ良いのです。
主イエス様は、「山上の垂訓」においてこのように教えられました。
『「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイの福音書7:7~7:11)』
明日も、兄息子の視点から考えたいと思います。明日で15章を終え、水曜日から16章に入りましょう。》