◇◆◇日々のみ言葉
2017年12月5日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書15章29節~32節】
15:29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
15:31 父は彼に言った。『おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは、全部おまえのものだ。
15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
◎ショートメッセージ
《引き続き同じ箇所から、焦点を兄息子に絞って、さらに深く考えて見ることにしましょう。しかし今日で15章は終わります。明日から16章に入ることにしましょう。
昨日は、父親が兄息子にも財産の半分を分けてあげたのですが、兄息子はそのことを理解し把握していなかった為、父親に不平を言ったことについて考えて見ました。
天のお父様は、すべてをお持ちでおられます。私たち、主イエス様を救い主として信じ、十字架の贖いによって救われた者は、長子である主イエス様に続く息子・娘であり、主イエス様の御名によって祈り求めるのなら、天のお父様は与えてくださること、備えてくださることを学びました。
今日は父親が最後に兄息子に語った言葉について考えて見たいと思います。
「だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」
私たち人間はなぜか、人の不幸を喜び、人の成功を喜ぶことが出来ない者なのです。それこそが罪の性質なのです。
自分が誉められたりすることは良いのですが、人が賞賛されたりすると、そのことを喜ぶどころか、憎たらしくなるのです。嫉むのです。
まさしく、そのようなことから起こった事件が、創世記に書き記されています。
『人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言った。彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。
だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
そこで、主は、カインに仰せられた。
「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。(創世記4:1~4:8)』
これが罪です。兄息子は、父親が弟にしたことに激怒したのです。たった一人の弟が帰って来たことを、父親と共に喜ぶどころか、弟の罪を数え上げ、それだけではなく父親をも批判しさばいているのです。
これが私たちです。私たちは何か上手くいかないことがあったり、また自分の家ではなく他人の家が繁栄したりすると、面白くなく、そして神様を批判しさばくのです。
カインは神様をさばいて、その怒りをアベルにぶつけて、殺人を犯したのです。
今、自分に与えられている物は、すべてが神様の恵みであり哀れみなのです。そして間違いなく、私やあなたは、父なる神様の子どもとされています。守られています。
そうであるならば、このお方に信頼すべきなのです。神様は、あなたに最善を与えられるお方なのです。そのことを信じて、祈り求め続け、待ち望むのです。》