• 日々のみ言葉 2017年12月6日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年12月6日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書16章1節~2節】
    16:1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
    16:2 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』

    ◎ショートメッセージ
    《今日から16章に入ります。イエス様が話された「不正な管理人」のたとえについて学んで行きます。今回も数回に分けて考えて見ることにしましょう。

     この前にイエス様は、「放蕩息子のたとえ」をパリサイ人や律法学者たちに話しました。もちろんそのたとえ話を弟子たちは聞いていたのです。また弟子たちは、そのたとえが何を意味するのか、ある程度は分かったはずです。なぜなら、イエス様は彼らに向けて話されたからです。

     さて、その話をまるで他人ごとのように聞いていた弟子たちですが、イエス様は今度は、弟子たちの方を見て話し始められたのです。
     イエス様が用いられるたとえ話は、使用された言葉は単純明快なのですが、そこに隠されている真理は非常に大きなものが有ると言えるのです。

     さて今回の「抜け目のない管理人」のたとえは、その理解が非常に難しいたとえと言えます。しかしこのたとえが弟子たちに、そしてすべてのクリスチャンに向けて語られたことには相違ありません。

     それでは、詳細に渡って考えて見たいと思います。

     このたとえの前に、イエス様が語られた「放蕩息子のたとえ」において、その父親が兄息子に語った言葉が、実は大きな前置きになっていると私は思うのです。

     父親は兄息子に、
    『おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは、全部おまえのものだ。(ルカの福音書15:31)』と言ったのです。

     つまり「ある金持ち」とは神様のことであり、そして「管理人」とは、一人一人の弟子、あるいはクリスチャンを指し示しているのです。

     父親が兄息子に言ったように、私たちに与えられているものは、すべてが恵みであり、また父なる神様から預けられたものなのです。それをどのように用いるのかが問われています。

     この管理人は、主人の財産を乱費している、という訴えが出されました。誰が訴えたのでしょうか。悪魔です。サタンです。なぜならサタンとは、「告発する者」と言う意味があるからです。

     その主人は、管理人を呼び出して言います。
    「おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。」

     もし私たち一人一人が、イエス様に「人生の会計報告」を出すようなことがあったとしたらどうでしょうか。もちろん聖書には、そのようなことは書かれてはいませんが。

     しかし、一日一日が神様から与えられた特別プレゼントだとしたら、生きて行く心構えも少しは変わって行くのではないでしょうか。本当に、ただただ感謝するばかりかも知れないのです。》

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