◇◆◇日々のみ言葉
2018年3月1日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書19章24節~26節】
19:24 そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』
19:25 すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています。』と言った。
19:26 彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。」
◎ショートメッセージ
《イエス様が言われた「ミナのたとえ」の最後の場面は多少難解なたとえになっています。
確かにイエス様が言われたたとえでは、十人のしもべにそれぞれ一ミナずつ与え、それで商売するよう言いつけたのです。
そして主人が帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出したと言うわけです。
最初の者は、預けられた一ミナで、十ミナをもうけたのです。彼は手元に十ミナを持っていたと思われます。
そして次の者は、預けられた一ミナで、五ミナをもうけたのです。彼は手元に五ミナを持っていたと思われます。
しかし三人目のしもべは、主人から任された一ミナを隠してしまっていたのです。ですから一ミナを持っていたことになります。
これは私の推測ですが、他の七人は一ミナを用いて商売し、やはり同じように1ミナを儲けて、一ミナを持っていることになります。
それでは、ここで主人は、十人のしもべに何を要求していたのでしょうか。それは従う心です。小さな事にも忠実な心なのです。
主人は言います。
「その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。」と。
これは、本来は彼の得るべきご褒美であり報いなのです。その報いを他の人に与えなさい、と言うことになります。
天の御国においては報いがあるのです。私たち信者の受けるべきご褒美が、報酬があると言うことなのです。
そしてその報酬が、他の人に振り分けられることになると言うのです。まさにそれこそ、そのしもべが歯ぎしりするようなことが起こるのです。
使徒パウロはこのように、その手紙に書き記して警告しています。
『なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。(第Ⅱコリント人への手紙5:10)』
天での報いは大きいのです。イエス様が言われた通り、私たちは、天の御国に、大いに宝物を積もうではありませんか。》