◇◆◇日々のみ言葉
2018年3月8日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書19章41節~44節】
19:41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
19:42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
19:43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
19:44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
◎ショートメッセージ
《この記事は、ルカだけにしか書き記されてはいません。
福音書著者ルカは、使徒パウロによって救いに導かれた、アンテオケ出身のギリシャ人の医者でした。よってユダヤ人ではなく、異邦人であったのです。
使徒パウロも、またルカも、イエス様の生涯の目撃者ではなかったことは疑いのないことです。
この二人が、紀元30年頃のイエス様の三年半に渡る公生涯の時に、すでに生まれていたかどうかは、聖書からはわかりません。
ただこの福音書が執筆されたのは、カイザリヤ説ですと、紀元57年か58年頃であり、有力なローマ説ですと、紀元59年か60年頃と言われています。
イエス様の十字架がいつ頃であったか、正確な年を決定することは出来ませんが、ヘロデ大王が死んだ年が紀元前4年と、はっきりと分かっていますから、イエス様がお生まれになられたのは、紀元前6年から紀元前3年頃となります。
としますと、イエス様の十字架は、紀元27年から紀元30年の間のことになるわけです。
これはあくまで私個人の推測ですが、イエス様の十字架の頃には、パウロ(サウロ)は、すでにローマで生まれていて幼子であり、またルカは青年であったと言う説から、イエス様が昇天された後に、アンテオケで生を授かったのではないでしょうか。
さて、ルカ独特のこの記事は、一体誰から聞き出したのでしょうか。これは、この時イエス様の側にいた者でなければ、見聞きできないことです。イエス様の側には、いつもイエス様が愛された弟子であったと言われているヨハネがいたと考えられます。
使徒の中で、ヨハネが初代キリスト教会の長老として、イエス様を直に目撃した最後の生き残りの十二使徒であったと言われています。
当然ルカがその福音書を書き記した時も、また続編である使徒の働きを執筆した時も、使徒ヨハネはエペソ教会に生存したことは間違いありません。よってヨハネから聞き出したと言うことが、一番納得出来ると思われるのです。
さてイエス様が、聖都エルサレムの為に涙を流されました。それは、紀元70年に、ローマ皇帝ティトスによるエルサレム破壊と滅亡の場面を、神様としてその目で先に見られ、そして預言されたのです。
一番の悲劇は、イエス様の最後のお言葉です。
「それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
ここでイエス様は、はっきりとご自身が、神様であることを宣言されておられます。
しかもそのことを、神殿にて仕える祭司たちや、旧約聖書に通じているパリサイ人や律法学者たちが知らなかったことは、まさに皮肉の何ものでもありません。》