• 2018年3月11日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年3月11日第二聖日礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書14章1節~3節】 (新約p.191上段左側)
    14:1「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。
    14:2 私の父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。
    14:3 私が行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを私のもとに迎えます。私のいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」

    ◎メッセージの概要 【場所を備えに行くのです】
    《イエス様は言われたこの時は、まだ最後の晩餐の時であり、おそらく聖餐式を制定された後のことだと思われます。
    「あなたがたは心を騒がしてはなりません。」
    とは、これから弟子たちに大きな試練がやって来ることを、預言されているのです。
     イザヤ書には、このようなメシヤ預言が書かれています。
    「見よ。私はシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。」
     このみ言葉を、使徒パウロは何度もその手紙に引用しています。
     『聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」と、ローマ書では、少し言葉を変えて引用しています。
     私たちは、突然予期せぬことが起こると、心を騒がす者であり、あわてる者であり、また失望する者なのです。
     その次にイエス様は、「神を信じ、また私を信じなさい。」と言われました。これこそが、信仰者の取るべきベストの態度なのです。
     ギリシャ原語では、日本語訳のような勧めの言葉ではなく、命令形が使われています。よって、「神を信じよ。私を信じよ。これは命令だ。」となるわけです。
     主イエス様のご命令ですから、私たちは従わなければなりません。たとえ五感が拒否しても、信じることを選ばなければならないのです。
     さて、これから弟子たちには、「イエス様の捕捉と裁判と十字架刑」と言う大きな試練がやって来ようとしています。ゲッセマネの園において、その試練が始まった時に、彼らはイエス様のご命令に従うべきでした。
     その結末は、もう誰もが知っている通りで、彼らはイエス様を見捨てて、逃げてしまいます。そして信仰までも失いかねない状況下に置かれるのです。ペテロが信仰を失わなかったのは、イエス様の取り成しの祈りにあったのです。
     ルカの福音書には、イエス様がペテロに、「あなたは私を三度知らないと言います。」と、預言される前に、弟子たちに与えられた言葉が書き記されています。
    「あなたがたこそ、私のさまざまの試練の時にも、私について来てくれた人たちです。私の父が私に王権を与えてくださったように、私もあなたがたに王権を与えます。それであなたがたは、私の国で私の食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。」
     これこそが、弟子たちに約束された「あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。」と言う預言の詳細です。
     そして、その事が起こるのは、イエス様が、「また来て」と言われた通り、再臨なされた時なのです。再臨された時に、天から「新しいエルサレム」が降りて来ます。そのことについて、ヨハネはその黙示録に、このように書き記しています。
     『御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。
     都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。
     都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。』
     と、まさにイエス様が弟子たちに言われたことが成就するのです。
     また、イエス様の言われたこの言葉は、弟子たちだけでなく、今現在生きているすべてのクリスチャンに向けられた約束でもあります。
     使徒パウロは、主が空中再臨(携挙)される時のことを、その手紙に書き記しています。
     『眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
     私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスと一緒に連れて来られるはずです。
     私たちは主のみ言葉のとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
     主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。』
     その為にも「異邦人の時」を私たちは終わらせなければならないのです。主のご計画の中にある「異邦人の救いの数」が満たされたのなら、すぐにでもイエス様は再臨されます。その鍵を握っているのが、この遠い島々の国と言われた「日本」なのです。》

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