◇◆◇日々のみ言葉
2018年3月15日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書20章7節~8節】
20:7 そこで、「どこからか知りません。」と答えた。
20:8 するとイエスは、「私も、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」と言われた。
◎ショートメッセージ
《「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれですか。それを言ってください。」
「私も一言尋ねますから、それに答えなさい。ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。」
するとユダヤの祭司長、律法学者たち、長老たちは、こう言って、互いに論じ合った。
「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったか、と言うだろう。しかし、もし、人から、と言えば、民衆がみなで私たちを石で打ち殺すだろう。ヨハネを預言者と信じているのだから。」
そして答えた答えが、「どこからか知りません。」だったと言うわけです。
これこそが、まさに偽善者のしるしなのです。彼らは、生前、ほとんどすべての一般のユダヤ人の心を掴んだ洗礼者ヨハネを、信じようともせず認めようともしませんでした。
彼らの話し合った内容が、それを証明しています。
「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったか、と言うだろう。」
彼らは、自分たちの利益や名誉と地位に固執していたのです。それを奪おうとしたのが、洗礼者ヨハネの存在だったのです。
彼らにして見れば、幸いなことに、国主ヘロデ・アンティパスによってヨハネは首をはねられ死んでしまいましたから、これで自分たちの立場も一安心と思っていたのでした。
しかしその矢先に、今度はナザレ人イエスと言う、奇蹟を行なう預言者が現われたのです。それゆえ今度も、何とかしてイエス様を排除しようと、このように躍起になって、挑戦して来るわけです。
「どこからか知りません。」
知らないのではありません。知っているのにもかかわらず、答えたくはないのです。口が裂けても、「天から」などとは言えません。
なぜならそのヨハネが、やがて来るお方であられるイエス様について、彼らにはっきりと預言したからです。
ルカの福音書には、
『民衆は救い主を待ち望んでおり、みな心の中で、ヨハネについて、もしかするとこの方がキリストではあるまいか、と考えていたので、ヨハネはみなに答えて言った。
「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(ルカの福音書3:15~3:17)』と、書かれています。
それほど、ユダヤの民衆はヨハネに対して、絶大な信頼と期待を寄せていたのです。すでに死んでいませんが、未だに民衆のヨハネに対する信頼は変わりありません。
それだからこそ、ごまかし、曖昧な答えしか言えなかったのです。
「どこからか知りません。」
それゆえイエス様は、
「私も、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」と言われたのです。》