• 2018年3月18日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年3月18日第三聖日礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書14章4節】 (新約p.191上段左側)
    14:4「私の行く道はあなたがたも知っています。」
    ※異本「私がどこへ行くかあなたがたは知っており、またその道も知っています。」

    ◎メッセージの概要 【あなたがたは知っています】
    《イエス様は言われました。
    「私の行く道はあなたがたも知っています。」
     しかし異本では、
    「私がどこへ行くかあなたがたは知っており、またその道も知っています。」
     となっています。異本の方が正しいとも言えます。
     この場面は、最後の晩餐の続きです。イエス様と十一弟子は、まだヨハネ・マルコの家にいます。ペテロは、「主よ。どこにおいでになるのですか。」と質問しました。その答えの続きをイエス様は話されています。ただペテロの質問は、この世の場所のことであって、実際にはこれから、イエス様と弟子たちは、「ゲッセマネの園」に行くことになります。
     しかしイエス様の答えは、それとは違うのです。イエス様は、「あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。」と言われました。そして次に言われたことが、本日の聖書箇所となります。ペテロは「行く道」を尋ねてはいません。行く道とは、目的地があってそこに辿り着く為のルートを指すからです。よって異本が正しいのです。
     イエス様は、「私がどこへ行くかあなたがたは知っており、またその道も知っています。」と言われたのです。「どこへ」父のみもとです。父のみもとに行くのです。
     ヨハネは、『さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので』と書いています。
     またイエス様は、その後はっきりとトマスに言われます。
    「私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
    「どこにおいでになるのですか。」とは「父のみもと」なのです。
     イエス様は、「あなたがたは、知っています」と言われました。この言葉はどのような意味なのでしょうか。
     イエス様は、何度も受難予告をされました。
    「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につける為、異邦人に引き渡します。しかし人の子は三日目によみがえります。」と。 そしてさらに、エルサレム入場の二日前にイエス様が、
    「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」と、弟子たちに言われたのです。
     それゆえエルサレムにおいて何が起こるのか、あらかじめ彼らは知らされていたのです。知っていたのです。しかし彼らは、そのことについては怖くて、イエス様に、また他の弟子たちにも、聞くことも尋ねることも出来なかったのです。
     道とは、十字架のことです。十字架なくしては、人類に救いはありえないのです。イエス様が十字架にかからなければ、私たち人類は、罪が赦されることも、また裁きから逃れることも出来ません。
     イエス様がまさに言われた通り、
    「私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
     イエス様を信じ受け入れ、従わなければ、父のみもとへ、すなわち天の御国には行くことは出来ないのです。
     使徒パウロは、コリント人への手紙にこのように書いています。
    「十字架の言葉は、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」また、「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」と。
     父のみもとに行く道は、十字架を通らなければなりません。それゆえイエス様は、「あなたがたは知っています」と言われました。
     またこの言葉は、宣言でもあり預言でもあります。イエス様がよみがえられた後、彼らは本当に真理を知ることになるからです。
     復活の主にお会いすることによって、彼らは、はっきりと旧約聖書の預言が、主イエス様によって成就したことを知るのです。悟るのです。
     それゆえ、「あなたがたは知っています。」なのです。》

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