◇◆◇日々のみ言葉
2018年9月15日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き2章14節~15節】
2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私の言葉に耳を貸してください。
2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。
シモン・ペテロは、
「今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。」とはっきりと訴えています。
「朝の九時」ですと、どうしてぶどう酒に酔ってはいないと言えるのでしょうか。もちろんどこの国の人であっても、朝っぱらからぶどう酒に酔うなどと言うことは、普通には考えられないことです。
そんなことをするのは、アルコール依存症の人だけでしょう。
しかしそれ以上に、ユダヤでは、朝食には決してぶどう酒はつきませんでした。それは、「朝の九時」と言うのは、ユダヤ人にとっては、「祈りの時」であったからです。
一般的にユダヤ人は、一日に三回、祈りの時を持ちました。その根拠については、詩篇とダニエル書に、こう書かれています。
ダビデはこのように謳っています。
『私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。(詩篇55:16 ~55:17)』
そしてダニエル書では、
『ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。(ダニエル書6:10)』と。
ここから、ユダヤ人は、朝の九時、昼の十二時、第一の夕方が始まる午後三時の三回にわたって、祈りを捧げていたことが分かります。
特に朝の祈りの時には、ユダヤ人は身をきよめる意味で、食事を取りませんでした。彼らは、朝のいけにえが捧げられて祈りが済む午前十時頃までは食事を取らなかったのです。
ですから、朝の九時にぶどう酒に酔うなどとは、あまりにも不謹慎な発言であり、主の弟子たちに対する暴言、非難、中傷であったのです。
しかしその言葉こそが、シモン・ペテロの生涯において、最高の救いのメッセージへの発端を担ったのです。
神様は、何時もいかなる時も、最善へと導かれます。
使徒パウロは、
『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8:28)』と教えています。》