◇◆◇日々のみ言葉
2018年10月27日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き4章1節~3節】
4:1 彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、
4:2 この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、
4:3 彼らに手をかけて捕えた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。
◎ショートメッセージ
《昨日から、使徒の働きも第4章に入りました。昨日と同じ箇所からの学びになります。
当時の祭司長や祭司たちはサドカイ派に属していました。新改訳聖書では、サドカイ人と訳していますが、これはサドカイと言う国の人々と言う意味ではなく、サドカイ主義を重んじる人々の集まりと言うことです。
よってパリサイ人も同じです。律法主義を重んじる様々な教派の中において、「厳格に昔の人の言い伝え」を守ろうとするパリサイ派に属している人々の集まり、と言うことになります。
さてサドカイ派の人々とパリサイ派の人々には、大きな教理の違いがありました。今日は、特にそのことについて、考えて見ようと思っています。
サウロ、後のパウロは、厳格なパリサイ派に属する律法学者でした。そのパウロが、議会裁判にかけられた時のことを、弟子ルカはこのように書き記しています。
『パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。
「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」
彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。(使徒の働き23:6~23:8)』と。
何とここに驚くべきことが書かれているのです。
それは、パリサイ派の人々は、死者の復活を信じ、また御使い、すなわち天使の存在を信じ、そして人間は霊的存在であることを信じていると言うのです。
しかし、その反対に、サドカイ派の人々は、死者の復活を否定し、また御使いの存在を否定し、そして人間が霊的存在であることを否定すると言うのです。
そしてもっと驚くべきことは、サドカイ派に属する祭司たちは、エルサレム神殿において、ヤーヴェなる神様に仕えていると言う事実です。
主イエス様が生きておられた頃から、このように真っ二つに分かれているのです。
今でも、プロテスタントのある教会は、御使いの存在を信じてはいません。天使などは絵空事だと思っているのです。また悪魔や悪霊のことさえも目をつぶっています。
そしてもっと驚くべきことに、ある教会では、主イエス様が復活されたことでさえ疑っているのです。何と言う悲劇であり喜劇なのでしょうか。
使徒パウロは、第Ⅰコリント人への手紙において、はっきりと述べています。
『ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(第Ⅰコリント15:12~15:20)』と。》