• 日々のみ言葉 2018年11月24日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年11月24日(土)

    ◎聖書箇所【使徒の働き4章36節~37節】
    4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、
    4:37 畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じく、バルナバについて考えて見ましょう。

     パウロは、コロサイ人への手紙において、バルナバは、マルコの福音書の著者であるヨハネ・マルコのいとこであったことを書き記しています。

     それゆえ、パウロとの二度目の伝道旅行に、マルコを再び連れて行くことにおいて、反目しあってしまったのです。
     この時には、非常に残念な話ですが、後にマルコは、パウロに取って、かけがえのない同労者になって行くことは、神様の不思議な摂理と言う他ありません。

     おそらく晩年のパウロは、この時のことを心から悔い改めて、バルナバやマルコに謝罪したのではないでしょうか。

     さて、バルナバの本名はヨセフです。
     しかし、十二使徒たちによって、ニックネームでバルナバ、訳すと「慰めの子」と呼ばれていました。

     ニックネームは、決してその人の人格を否定するようなものではないはずですから、彼は、主イエス様の弟子たちの間において、特別な存在であったと思われるのです。

     「使徒の働き」において、バルナバの名前は、4章に初めて登場するのですが、かつては敵であったサウロを受け入れ、世話をしたことから、どう考えましても、ペンテコステの日以後に救われた者ではなく、主イエス様の公生涯からの弟子の一人では、なかったのではないでしょうか。

     主イエス様は、このように弟子たちに教えられました。
    『「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
     それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせて下さるからです。
    自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。」(マタイの福音書5:43~5:46)』

     この教えは「山上の垂訓」において、主イエス様が語られたことですが、公生涯最初の年、比較敵早い頃であると言われています。
     となりますならば、少なくとも三年以上にわたって、バルナバは、主イエス様の御もとにいて、教えを受けていたことになります。ならば、使徒たちとほぼ同じです。
     バルナバは、この教えを忠実に守ったとは、言えないでしょうか。

     またルカは、その福音書にこのような記事を書き残しています。
    『その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。(ルカの福音書10:1)』と。

     比較的早い時期に、主イエス様の弟子に加えられていたとしたら、バルナバは、間違いなくこの七十人の中に存在していたと、言っても良いでしょう。

     もしバルナバがいなければ、使徒パウロは存在しなかったかも知れないのです。そして使徒パウロが存在しなかったとしたら、新約聖書の珠玉の書と言われる「ローマ人への手紙」を始め、パウロ書簡は、書かれることはなかったのです。

     人ひとりの存在は、決して小さなものではありません。創造主なる神様は、私たちひとりひとりの存在を、決して軽く見てはおられません。

     神様の目からは、私たち一人一人は高価で尊いのです。愛されるべき存在なのです。だからこそ、御子を惜しまずに、私たちの為に、十字架につけられたのです。》

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