◇◆◇日々のみ言葉
2018年11月25日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き5章1節~2節】
5:1 ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、
5:2 妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
◎ショートメッセージ
《今日から、使徒の働きの学びも、5章に入ります。
今日の箇所は、非常に難しい箇所とも言われています。
私は、この箇所を読むたびに考え込んでしまいます。
多くの教役者の先生方は、アナニヤと妻サッピラは、神様に打たれた、あるいは神様に裁かれたと理解し、そしてそのように教えます。
ここから、聖霊を欺くことは死に値すると教えるのです。
なぜなら、主イエス様はこのようにも教えられたからです。
『「私の味方でない者は私に逆らう者であり、私とともに集めない者は散らす者です。
だから、私はあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らう言葉を口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」(マタイの福音書12:30~12:32)』と。
ここから、アナニヤと妻サッピラは、イエス様が忠告された通り、聖霊に逆らう冒涜をしたことによって、神様に裁かれたと考えるのです。
エルサレム初代教会の多くの信者が、自分の家や土地を売って、その代金を使徒たちの足下に置きました。
なぜなら、リバイバルによって、短期間で大きくされた教会には、多くの必要があったからです。
また「世界宣教」の働きの為にも、多くの出費が見込まれていたわけです。
アナニヤと妻サッピラも、人々に習って、その持ち物を売ったことは良かったのです。そして、その動機も決して間違ってはいませんでした。
また、代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いたことも、良かったのです。ここまでは。
問題は、その後なのです。全部ではないのに、全部と言ったことが罪なのです。使徒や仲間や、そして聖霊様を、欺こうとしたことが罪なのです。
罪を犯せば、当然その刈り取りをすることになります。
その刈り取りが、「死」であったことになります。
たとえ、そうであったとしても、矢張り疑問が残るのです。アナニヤもサッピラも、すでに洗礼を受けていたはずです。イエス様は、十字架において彼らの罪をも背負われて死んで下さったはずなのです。
彼らの罪は、全部、十字架において赦されたはずなのです。なぜなら、彼らの裁きを一身にイエス様が受けて下さったはずだから。
明日も、引き続き考えて見たいと思います。》