• 2019年1月6日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年1月6日新年第一主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【第Ⅱペテロの手紙1章5節~10節】 (新約p.422上段左側)
    1:5 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、
    1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
    1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
    1:8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。
    1:9 これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。
    1:10 ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。

    ◎メッセージの概要【確かなものとしなさい(PartⅠ)】
    《2019年となりました。平成最後となります。5月から新元号となりますが、その発表は4月1日だそうです。M、T、S、H以外の頭文字となることは間違いないでしょう。
     さて、今年一年の巻頭聖句は、第Ⅱペテロの手紙1章10節です。
    「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。」
     ここから2週にかけて学んで行きます。
     さて、シモン・ペテロは勧めます。
    「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」と。
    「信仰」とは、主イエス様に対する信仰です。
    「徳」とは、広辞苑では、「道をさとった立派な行為。善い行いをする性格。身についた品性。他を感化する力。」と書かれています。要するに主を信じる者としての性格を指します。
    「知識」とは、「ある事項について知っていること。また、その内容。」と書かれ、ここでは、旧約聖書を意味し、また主の言われた言葉を意味します。
     第Ⅱペテロの手紙が書かれた頃は、紀元67年頃であり、すでに三つの共観福音書は存在しています。
    「自制」とは、「自分の感情や欲望をおさえること。」と書かれ、
    「忍耐」とは、「こらえること。たえしのぶこと。」であり、最後に、
    「敬虔」とは、「うやまいつつしむこと。特に神に、つつしみ仕えること。」であって、主イエスを敬う態度と生活を表わします。
     そして最後に「兄弟愛」と続きます。これらのものを、「あらゆる努力をして」備えなさいと勧めるのです。
     ペテロはなぜこのように言うことが出来るのでしょうか。それは、以前の彼は、そのような者ではなかったからです。イエス様が十字架にかけられたのは、紀元27年頃だと言われています。この手紙は、ペテロがローマで殉教する直前であり、紀元67年頃なのです。
     イエス様が昇天されてから約40年の歳月が流れています。この時のペテロは、まさに、信仰、徳、知識、自制、忍耐、敬虔、兄弟愛を持っていたのです。変えられていたのです。 ペテロはあらゆる努力をしたのです。だからこそ、勧めることが出来るのです。
     ペテロとパウロが初めて出会ったのは、紀元35年頃です。そのことを、パウロは「ガラテヤ人への手紙」に書き記しています。
    『以前ユダヤ教徒であった頃の私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。
     また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。
     けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。
     それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒には誰にも会いませんでした。』
     サウロの改心は、紀元32年であり、その後3年間は、ダマスコに戻って、旧約聖書を徹底的に調べあげ、主イエス・キリストへの信仰を確かなものとしました。
     それでなくとも、パリサイ人や律法学者たち、またユダヤ最高議会の議員の中において、ラビの中のラビ「ラバン」とも呼ばれた師ガマリエルの一番弟子であったサウロの卓越した知識、人格、能力には、かつてガリラヤ湖の一介の漁師であったペテロは、自分と比較して、あまりの違いさを感じたことは、言うまでもありません。
     そしてそれから十四年たって、パウロはバルナバと一緒に、テトスも連れて、再びエルサレムに上って来たのです。と言うことは、紀元46年のことです。その時、エルサレム教会では、柱として重んじられている牧師ヤコブと、ケパとヨハネがいたのです。ペテロとヨハネがいたと言うことから、この二人がチームであったことの何ものでもない証拠でしょう。 さて、パウロは、ガラテヤ人への手紙において、
    『御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です』と述べています。
     この手紙が書かれたのは、ペテロの第Ⅱの手紙が書かれる少なくとも十数年前のことです。当然ペテロはその内容を知っています。すでにペテロは、パウロの他の手紙も、その写しを手元に持っていた可能性は非常に高いと思われます。
     本来御霊の実とは、聖霊によって与えられるものなのです。私たちの中には、実際には良い物など何一つないのです。シモン・ペテロが変えられたように、聖霊が私たちを変えて下さるのです。
     しかし私たちの側にも、すべきことがあることをペテロは教えています。それが「あらゆる努力」なのです。
     つまり祈り求めるのです。御霊の実が与えられるように。さらに主の器と変えられるように。主にふさわしい者となるように。主イエス・キリストの証人となるように。》

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