• 日々のみ言葉 2019年1月16日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年1月16日(水)

    ◎聖書箇所【使徒の働き7章20節~22節】
    7:20 このようなときに、モーセが生まれたのです。彼は神の目にかなった、かわいらしい子で、三か月の間、父の家で育てられましたが、
    7:21 ついに捨てられたのをパロの娘が拾い上げ、自分の子として育てたのです。
    7:22 モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも力がありました。

    ◎ショートメッセージ
    《ステパノのメッセージは、出エジプトへ入りました。

    「このようなとき」とは、昨日の聖書箇所で、
    『神がアブラハムにお立てになった約束の時が近づくに従って、民はエジプトの中にふえ広がり、ヨセフのことを知らない別の王がエジプトの王位に着く時まで続きました。
     この王は、私たちの同胞に対して策略を巡らし、私たちの先祖を苦しめて、幼子を捨てさせ、生かしておけないようにしました。(創世記7:17~7:19)』とのことです。

     私は、ここに神様の不思議な摂理を思うのです。なぜモーゼなのでしょうか。なぜ他の者ではなかったのでしょうか。

     しかも、末っ子として生まれ、ついに隠し通すことが出来なくなって、両親は彼をナイル川に流すのです。すると水浴びをしていた王女の手によって拾われ、そして王女は、その赤ん坊を我が子として育てる決意をするのです。

     このパロの娘の名前は、聖書には登場しません。私は、伝承で残っていても良いと思うのですが。
     チャールトン・ヘストン主演の映画「十戒」では、この王女の名前は「ビシュア」と設定されています。しかしそれが真実であるのか、その真偽は分かりません。

     モーゼもそうですが、この王女も神様によって選ばれた者であることは間違いないことです。

     さてモーゼは、王女の子として、エジプトでの最高の教育を受けることになります。しかも王族の一員としての教育であり、おそらく様々な知識だけでなく武芸や、戦車の操縦においても、相当な腕前であったのではないでしょうか。

     モーゼは奴隷ではありません。プリンスなのです。それだからこそ、民を率いて出エジプトすることが出来たのです。イエス様も「平和のプリンス」と呼ばれています。

    「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも力がありました。」
     何と言う素晴らしいことなのでしょうか。神様を褒め称えるばかりです。

     モーゼは、まさしく主イエス様のひな形です。イエス様は神の御子でありながら、人としてこの世に来て下さったのです。主の主、王の王としてです。

     それだからこそ人々を、罪から、悪魔の奴隷状態から解放することが出来たのです。》

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