◇◆◇日々のみ言葉
2019年1月18日(金)
◎聖書箇所【使徒の働き7章24節~25節】
7:24「そして、同胞のひとりが虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち倒して、乱暴されているその人の仕返しをしました。
7:25 彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。」
◎ショートメッセージ
《『「四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。」(出エジプト記7:23)』とステパノは語っています。
もちろん彼に取っては大昔のことですので、正確に覚えているはずもなく、これは間違いなく第三位格であられる聖霊様が、ステパノの口を通して語っておられるに違いありません。
エジプトの王子として最高の教育を受け、またすべてが与えられていたにもかかわらず、なぜモーセは、自分と同じ民であるイスラエル人を顧みる心を起こしたのでしょうか。普通には考えられないことです。
ここでステパノは不思議なことを語っています。それは、
「彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、」と言うことです。
つまり「救い主」、エジプトの奴隷状態から解放してくれる「メシア」の存在です。このことを、何時、またいかにしてモーセは知ったのでしょうか。
イスラエルつまりヤコブは、その死ぬ直前に、自分の十二人の子どもたち(後の族長)一人一人に預言しています。
その預言の中に、
『王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。(創世記49:10)』と言う「メシア預言」があるのです。
また、ヨセフは死ぬ前にこのように預言しています。
『「神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください。」(創世記50:24~50:26抜粋)』
これらの預言を、また言い伝えをモーセは知っていたことになります。自分がその任を与えられていると思ったからこそ、このようなことをしたのです。
この時モーセは、エジプト人を殺したことは間違いないことです。
なぜならパロが王子であるモーセを捕らえて、殺そうとしたからです。
これも私の推測ですが、モーセが殺したエジプト人は、かなり地位の高い高官であったと思うのです。
セシル・B・デミルの「十戒」の映画においても、そのような解釈がなされています。
パロがかばい立て出来ないような事件であったことは間違いありません。》