• 2019年1月20日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年1月20日新年第三主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書17章4節~5節】 (新約p.197上段右側)
    17:4「あなたが私に行なわせる為にお与えになったわざを、私は成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。
    17:5 今は、父よ、みそばで、私を栄光で輝かせて下さい。世界が存在する前に、ご一緒にいて持っていましたあの栄光で輝かせて下さい。」

    ◎メッセージの概要【主イエス・キリストの栄光】
    《今週からまたヨハネの福音書の学びに戻ります。17章は、主イエス様のお祈りです。場所は、まだヨハネ・マルコの家に留まっておられます。
     そして祈りが終わると、主を先頭に十一使徒と数人の弟子たちは、エルサレム市内を後にし、ゲッセマネに向かいます。この祈りを主の右側にいたヨハネが全部覚えていたことは奇跡であり、また聖霊によることは言うまでもありません。
     さてイエス様は、「あなたが私に行なわせる為にお与えになったわざを、私は成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。」と、まず父に告白されました。
     イエス様が成されたわざは、父なる神様がご計画されたわざであることを、主ご自身が、ユダヤの指導者たちに、明確に証しています。
    「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それあなたがたが驚き怪しむ為です。」
     このことから、いかにイエス様が、いつも一人寂しい場所に退かれて、父と祈っておられたことが分かります。またここから、父との祈りは決して一方通行ではないことが教えられるのです。
     私たちも主と同じです。万人祭司である私たちは、祈りにおいて、主の御名によって父なる神様に願うことが出来るのです。
     さて、イエス様が成されたわざは、すべて父によって示され、また父によって用意されていたことが分かりました。しかし、それだけではありません。実はイエス様が語られた言葉と教えは、これもすべて、父が言われた通りに語られたのです。
    『「私を信じる者は、私ではなく、私を遣わした方を信じるのです。また、私を見る者は、私を遣わした方を見るのです。私は、自分から話したのではありません。私を遣わした父ご自身が、私が何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。それ故、私が話していることは、父が私に言われたとおりを、そのままに話しているのです。」』
     次にイエス様は、
    「今は、父よ、みそばで、私を栄光で輝かせて下さい。世界が存在する前に、ご一緒にいて持っていましたあの栄光で輝かせて下さい。」と言われました。
     パウロはこのように述べています。
    『「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」』
     神の御子であられるイエス様は、神の力を制限され、私たちと同じ人となってこの世界に来て下さいました。そして父なる神様の摂理によってご計画された罪の贖いの為に、十字架の死を通ることによって、栄光をお受けになられることになります。
     それゆえ使徒パウロは、聖霊に満たされて、こう語っています。
    『御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子の為に造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。(コロサイ書)』と。
     これこそが真理なのです。すべてが主イエス・キリストから始まり、そして主イエス・キリストで終わるのです。
    「私はアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。(黙示録)」と、イエス様がヨハネに言われた通りなのです。
     神様が人となって来て下さり、十字架で死なれ、三日目によみがえり、昇天されます。その時、主イエス様は、本来あるべき姿に、すなわち神様に戻られると言うことなのです。そして、栄光をお受けになられるのです。
     しかしイエス様は、この時、人として父なる神に願い祈っておられるのです。》

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