• 日々のみ言葉 2019年4月13日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年4月13日(土)

    ◎聖書箇所【使徒の働き10章1節】
    10:1 さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。

    ◎ショートメッセージ
    《今日から「使徒の働き」の学びも第10章に入ります。

     まず「カイザリヤ」についてです。
     この都市は、「使徒の働き」の時代には、大きな役割を果たした都市でありました。

     まず、地理的なその位置ですが、パレスチナの地中海沿岸にある港町で、カルメル山の南37キロほどの所にあります。
     古代にはその地方第一の都市であり、フェニキヤに属する要塞都市であったのです。ストラトンの塔と呼ばれた町の跡に、建築の天才でもあったヘロデ大王が、紀元前25年から12年をかけて、大々的な改修工事を施し、見事な港町を造りました。
     ヘロデは、小さな入江を拡張して防波堤を築き、ローマと同じように、劇場、円形演技場、競技場、導水橋、カイザル(皇帝礼拝)の大神殿を備えた一大都市としたのです。

     そして、アウグストゥス・カイザルにちなんで、町の名を「カイザリヤ」と改めました。
     大防波堤を築いたので、この地方第一の安全な港として、パレスチナ全体に対する交通の要所となり、それゆえ政治的にも軍事的にも重要な都市として、ローマ総督府が置かれていたのです。

    かつては、ステパノと同様に、初代エルサレム教会の執事であった伝道者ピリポは、ステパノの迫害後、サマリヤでの宣教、エチオピヤの宦官への伝道などを経て、カイザリヤにやって来ました。そしてピリポは、その後ここに落ち着いて宣教したのです。

     また、パウロがエルサレムのユダヤ人に殺されそうになった時、バルナバと信徒たちは彼をカイザリヤに連れて下り、パウロの出身地タルソに送り出したのもこの港です。

     そして、使徒パウロは、第二回、第三回の伝道旅行を終えてエルサレムに上る時、この町に寄り、愛するクリスチャンの同僚との平穏な時間を持ったのです。

     その後、パウロはエルサレムで捕えられ、ユダヤ人による暗殺を避けるために、護衛の兵士たちと共に、再びこのカイザリヤに連行されました。

     パウロはここで、何と二年間牢獄につながれ、総督フェストとアグリッパ王の前で、裁判において、二度、聖霊に満たされ、力強く弁明したのです。

     その後、パウロがカイザルに上訴した為、この港からローマへと護送されます。その時、ギリシャ人であり医者であった愛弟子ルカも同行します。

     そして、ローマにおいて、パウロの監修の元に、「福音書」と続編である「使徒の働き」を執筆することになります。

     そして一時は無罪となり、釈放され、最後の伝道旅行を終え、再びローマに戻った時に、皇帝ネロの命によって捕らえられ有罪となり、ローマ市民であるがゆえに、斬首刑によって殉教することになります。

     そのカイザリヤには、ローマの大部隊が駐屯していました。》

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