• 2019年4月28日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年4月28日第四主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネ20章24節~29節】 (新約p.203上段右端)
    20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らと一緒にいなかった。
    20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
    20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
    20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私のわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
    20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
    20:29 イエスは彼に言われた。「あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

    ◎メッセージの概要【復活から一週間後】
    《先週はイースターでした。主イエス様が復活されたのです。さて、今日はその後の一週間の出来事について学んで見ましょう。
     私たちは、主イエス様がよみがえられた後、何日間の間、この地上に留まっておられたのか知っています。そうです。40日なのです。とは言いましてもユダヤは数えですから、実際には丸38日となります。
     さて、よみがえったその日、すなわち週の始めのことです。ヨハネは、その時の様子をこのように書き記しています。
    『その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。
    「平安があなたがたにあるように。」 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」』と。
     この記事は、ルカの福音書の平行記事と時と場所は一致しますが、かなり異なっています。それは、ルカには書かれていないことを、ヨハネは追記しているからです。
     ここで大切な真理が解き明かされています。イエス様は息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい。」と言われたことです。と言うことは、弟子たちがイエス様から離れた時に、聖霊が一時彼らから離れられたことを意味します。この時、聖霊様が戻られたと、私は思います。
     さて、十二使徒の一人トマスがいなかったことをヨハネは書き記しています。しかしルカを見ますと、十一使徒の全員がいたことになっています。
    『すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。』と。
     そして、主イエス様の新しい命令が書かれています。
    「あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
     イエス様の最初の命令は、「ガリラヤに行きなさい。」と言うことでした。しかしここでは「都にとどまっていなさい。」と言われています。
     何と言う矛盾でしょうか。使徒たちは、「ガリラヤに行くか」それとも「エルサレムに留まるか」非常に迷ったはずです。
     実はこの時にトマスはいなかったのです。だからこそ、主イエス様はご自分が出された命令を保留して、「都に留まりなさい。」と言われたのです。十一使徒が全員そろって、ガリラヤに行くべきなのです。
     そして八日目、再び同じような光景に主イエス様は現われて下さいます。その時にはトマスもおり、十一使徒全員がそろっていました。
     そして、その後再び主イエス様は、弟子たちに命令されたに違いありません。「ガリラヤに行きなさい。」と。
     それゆえヨハネ21章には、ガリラヤ湖畔での使徒たちの光景が描かれているのです。  聖書には書かれてはいませんが、この一週間の間に、イエス様は自分のごく親しい親戚や家族たちに、お会いされたのではないかと思っています。
     そして、さらに大切な真理が啓示されています。それは、なぜ「一週間後」なのか、と言うことです。
     主イエス様は、週の始めの日に、弟子たちの集まっている場所、すなわち教会に現われて下さいました。そしてそれから1週間後、同じように弟子たちが集まっていた所に、再び、ご自身を現わされたのです。これこそが、教会の日曜礼拝の始まりなのです。
     イエス様は以前このように言われました。
    「ふたりでも三人でも、私の名において集まる所には、私もその中にいるからです。」と。
     またヘブル人の手紙の著者もこのように勧めています。
    「ある人々のように、一緒に集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」と。
     復活されたその日(週の始めの日)と、その八日後、すなわち(一週間後)において、主イエス様は集まることの意味と大切さを教え、また礼拝を制定されたのです。
     そして、その場所に、主イエス様ご自身が来て下さることの、確固たる保証であり、また約束なのです。》

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