◇◆◇日々のみ言葉
2019年5月1日(水)
◎聖書箇所【使徒の働き10章27節~29節】
10:27 それから、コルネリオと言葉をかわしながら家にはいり、多くの人が集まっているのを見て、
10:28 彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示して下さいました。
10:29 それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」
◎ショートメッセージ
《シモン・ペテロがカイザリヤのコルネリオの屋敷に着くと、コルネリオは出迎えに前に進んで来ました。
この時、彼は百人隊長として、ローマ軍の正装をしていたかどうかは、分かりかねますが、私は、普段着であったと考えています。なぜなら、コルネリオはペテロの足もとにひれ伏したからです。
本来ならば、ローマ軍に所属する兵士はもちろんのこと、特に指揮官は、皇帝カイザルに忠誠を尽くすことが義務付けられています。
もしローマ軍の正装姿で、一介のユダヤ人の前にひざまずいたとしたら、それは国家に対する反逆行為と見なされてしまいます。
それだからこそ、良く私たちが映画で目にします、ローマ人の一般着姿(白いローブ)で出迎えたと私は思うのです。
ペテロはコルネリオを起こして言います。
「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」
この時、ペテロはコルネリオに手を差し伸べて立たせたと、私は考えます。この行為こそが、神様が異邦人に手を差し伸べたことへの象徴を表わしているのです。
コルネリオは、ペテロを「救い主」と誤解したのかも知れません。ユダヤ教の熱心な信者でありましたから、当然「メシア」について、あるいは「キリスト」についての預言を、一通り理解していたはずです。もしかしたら、彼は熱心に「救い主」を待ち望んでいたかも知れません。
さてペテロは、コルネリオと挨拶の言葉を交わしながら、家の中に入って行きました。家の扉が開き、中に入ったペテロは驚いたのです。何と、そこには大勢の人々が集まっていたからです。
「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示して下さいました。それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」
何とこの時、ペテロは、「皮なめしのシモンの家の屋上で見た幻」の意味を悟っているのです。この解き明かしは、何時与えられたのでしょうか。
それは、コルネリオの家の中に入ったその瞬間なのです。その時、聖霊様がペテロに臨まれ、瞬時にして、ペテロは幻の意味を知ったのです。
真に神様の時は、何時でも、遅くもなく早くもないのです。最高のタイミングです。
明日も同じ箇所からとなります。》