• 日々のみ言葉 2019年6月8日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年6月8日(土)

    ◎聖書箇所【使徒の働き12章7節~10節】
    12:7 すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。
    12:8 そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい。」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい。」と言った。
    12:9 そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。
    12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所となります。
     御使いによって、シモン・ペテロの救出劇の場面となります。
    「すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。」

     御使いが現われると言うことは、どのようなことなのでしょうか。今、現在の私たちには、頻繁に御使いをこの目で見ることは出来ません。
     しかし当時のユダヤにおいては、御使いが現われることは、ごく一般的であったように言われています。

     例えば、ヨハネの福音書によりますと、
    『さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。
     主の使いが時々池に降りて来て、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初にはいった者は、どのような病気にかかっていてもいやされたからである。(ヨハネの福音書5:2~5:4は異本による)』と書かれています。

     これは本当のことなのでしょうか。

     このベテスダの池に、三十八年もの間、病気にかかっている人がいました。イエス様は彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って言われました。
    「よくなりたいか。」
    「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」

     三十八年もの長い間、病気にかかっている人は、御使いが降りて来て、池の水を動かすことを何度も、いや何十回も、もしかしたら何百回も見たのかも知れないのです。なぜ御使いだと分かるのでしょうか。それは、光輝く存在だからです。

     ヘロデに捕らえられたペテロの牢に御使いが来た時、その光が牢の中を照らしたと有ります。おそらくこの光景を見たのはシモン・ペテロだけだと思われます。4人の見張りの兵は誰一人も、御使いとやがて牢から出て行くペテロを見ていないのです。いや、見えなかったっと言っても良いかも知れません。

     御使いとペテロは、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ました。すると、その門がペテロの前で、ひとりでに開いたのです。
     そして彼らは外に出ます。その後、門はまたひとりでに閉じたと私は思うのです。何事もなかったかのように。
     そして御使いとペテロが、エルサレム市内のある通りを進んで行くと、御使いは、ペテロから離れたと有ります。

     最初ペテロは、これは夢ではないかと思ったようですが、次第に夢ではなく、現実に起こった出来事であることに、やがて気づくことになります。》

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